雪かき東北縦断の旅

雪かき東北縦断の旅

旅の記録 「雪かき東北縦断」のブログです。期間は2017年1月~3月の2ヶ月間。福島県⇒山形県⇒秋田県⇒青森県と東北地方を雪かきを手伝いながらの縦断に挑戦します!

東北縦断3日目 マタギへ会いに金山町へ

4時半、しらかば荘の駐車場に張ったテントで目が覚める。
湯を沸かし水筒に大好きなココアを入れ、荷物を置いたまま、夜道をヘッドライトで照らしながら僕は昭和村を目指した。
村で朝日を拝めるためだ。
両脇に生い茂る木々が黒い影を落とし、所々凍結した道を40分ほど歩くと、ぽつりぽつりと民家が現れ、村に到着した。
何件か電気がつてはいるものの、外にまだ誰もいない。
コイン精米所の近くが開けている。
見通しのよい場所を見つけて腰を下ろし、水筒をすすった。ココアは熱い。熱くて火傷し、口内の上の皮が剥がれた。
暫くすると、空をおおう雲が輝き始め、雲間から射し込む光が冷えきった村を照らした。
1日が始まった、今日目指すは15キロ程離れた金山町、マタギの猪俣さんに会うのだ!

~干柿~
道の駅・からむし織の里の屋根の下、ベンチに座ってかじかんだ手で昨日束原さんから貰った年賀状に 、文字をふるふると書いてゆく。
「これを書いてる今、俺は東北の昭和村にいます~・・・」
元々汚い字が、さらにし烈を極める。
昼近くになり、そろそろ金山町へ出発しようかとしらかば荘へ向かって村を歩いていると、ある家の前でお婆ちゃんが雪をかいていた。
僕は立ち止まり、話を始めた。
ふと見上げると家に干柿が吊るしてあった。
随分長いこと干柿を食っていなく、懐かしさを覚える。僕がじっと見つめていると、ばあちゃんが口を開いた。
「干柿ねぇ、金山町にはピンポン玉よりもちっちゃなマメ柿があってな、その干柿が甘くて美味しいの、ここよりも美味しいのよ!」
そういうわけで、ちっちゃくて甘いという干柿を食べたくなった僕の金山町への期待は、一挙に膨らんだ。果たして出会えるのだろうか!
「雪かき手伝いますよ!」話の礼をしようとした。
「いいのいいの、今年は全然雪ないから、また降った時にお願いね」
僕は立ち去った。

~水筒を忘れて~
しらかば荘へ着いて、乾かしていたテントと寝袋をたたんで荷物をまとめていると、あることに気が付いた。
ココアの入った水筒がない・・・。村に置いてきてしまったのだ。
時間は11時を回っており、再び歩いて村に戻ったら3時と決めた猪俣さんとの約束に間に合わない。
僕は急いで道路に出、村へ向かう車に手を挙げた。
3台目で軽トラが止まり、おじさんに村まで乗せてもらう。
帰りもヒッチハイクし、軽トラのおじさんにしらかば荘まで乗せ貰った。
移動中これまでの旅話、これからの夢を話して聞かせた。
しらかば荘で降ろしてもらい、荷物をまとめていると去った筈のじいちゃんが軽トラで戻ってきた。
「アンちゃん、一人だよな・・・?」
「はい・・・一人です」
「良かった!これやるから食いな!」
そういって、137円の値下札の貼ってある賞味期限のキレたうどんを手渡された。
「ええ!いんですか?」
「あぁ久しぶりにばかみたいな話が聞けたからな、その礼だ!」
生まれて初めて、下らない僕の話が売れた瞬間だった。車に乗せて貰ったのはこっちだというのに・・・・f:id:Yu-Ma:20170113072038j:plain

金山町へ
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雪を薄く被った山、人の姿のない集落をいくつもの抜け、重い荷物に苦しみながら3時間、最後に長いスノーシェッドを10分ほど歩いて抜けると、昭和村に似た雰囲気の集落が現れた。
山々に囲まれた古い古民家が、いくつもの立ち並ぶ人口2000人ほどの金山町だ。
おじいさんがどこからともなくヨチヨチと現れて、道路にコテッと座り込んだ。
ポケットからゆっくりと煙草を一本取りだして火をつける。プカーと煙を吐き出してそれを見ていた僕を見た。
「どこさいくべ~?」



自然というものをマタギを通して伝える猪俣さん
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・作る人が殆ど皆年寄りだけで、あと少ししたら無くなってしまうかもしれない金山町の特産物・赤カボチャ。
・未舗装の道路に、電車もろくに通っていなかった明治時代、積もる深い雪の中を命がけで十和田湖から沼沢湖へ、卵を持ってきて、そこから始まったヒメマスの養殖。
・今や西洋蜜蜂に追いやられ、年々数を減らしている、日本の自然の多様性を豊かにしてくれた日本蜜蜂。
・冬はマタギ

伝統の赤カボチャ、当時の村人達の熱い思いがあるヒメマス養殖、消えつつある日本のかけがえのない蜜蜂、そしてマタギ

今ここで詳しく文字で伝えることは出来ないが、それぞれに本当に深い思いがあり、麻婆ラーメンをすすりながらその話を聞いていた僕は全身鳥肌がたっていた。

礼を言い別れを告げて、僕は温泉・せせらぎ荘へと向かった。
湯を上がり、椅子に座って日記を書いていると、見知らぬ村人に声をかけられた。
「君か?今東北を縦断しているという青年は?今から友人と酒を飲むんだけど良かったら話を色々と聞かせてくれないか、今夜家に泊まっていってもいいからさ!」
栗城こうたろうさん
近くの道の駅で働いている町議会議員だ。
雨が降りしきる中、濡れて凍えることを覚悟していたこの夜、町の話を沢山聞き、温かい布団でゆっくりと眠ることができた。



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酒でふらふらになりながらも言葉を絞り出した。「あの、干柿を探しに来たんですけど、この町に凄く甘くてちっちゃなマメ柿の干柿があるときいて・・・知ってますか?」
テーブルを囲む男達が口を揃えていう。
「今は作ってる人はいないよ」
がっかりした。
だが、まだ分からない。何処かに作ってる人はいるかもしれない!!そう信じよう!

2017年1月8日

東北縦断二日目 昭和村を目指して

まだ夜が明けて間もない頃に、星さん夫婦に別れを告げて向かった先は、南会津から50キロ程離れた奥会津・金山町。
金山町に猪俣さんというマタギの方が住んでおり、会って話を聞くためだ。
ただ50キロという距離を重い荷物を背負って、1日で行くことは、まぁまず無茶であろう。
そういうわけで、途中30キロ程離れた昭和村を中継していくことにした。



~道を間違えて~
養鱒公園駅を出発し、田畑に囲まれたた道路を地図を頼りに歩いて行く。回りに雪はない。空は晴れ渡り、陽射しが暖かく、汗がじんわりと滲んでくる。
1つ先のふるさと公園駅を越えると道が2つに別れた。町で貰った地図を見て、近道であろう左に伸びる細い道を選ぶ。道は線路沿いを進んで、暫く歩くと藪に突っこみ、滔々と流れる大川に行く手を阻まれた。道を間違えたのだ。地図には乗っていない道を僕は進んでいた。引き返そうにも時間と体力が勿体無い。周りを見渡した。あぜ道を通り、田畑を横れば道路へ出られるはずだ。
道路を目指しあぜ道へ歩を進めてゆく。
泥濘んだ道は、体重のかかった足を、土のなかに引きずり込んでいった。
藪に覆われた6メートル程の土手が現れた。
草の棘が服を貫いて、チクチクと肌を痛め、木々から垂れ下がる腕程の蔓が行く手を遮ってくる。
枯れ草で足を滑らせ、前のめりにすっ転び、土が飛び散った。
近道を行こうとした報いかな・・・そう自分に言い聞かせて立ちあがり、土手を登りきった。
リンゴ畑の向こう20㍍程先に道路が見えた。安堵の一息がもれる。
それを目指し歩いている途中、畑の隅に腐ったリンゴが山積みに捨ててあった。
食べられることなく腐ってとろけているどれもこれも何だか悲しそうに見えた。
勿体ねぇ・・・そう思ってじっと見つめていると、まだ食べられそうな小さなリンゴが1つ目に留まった。
それを手に取り、ザックの布で拭いてかじった。
誰にも食べられずに腐り果ててゆく筈のリンゴは、乾ききった僕の喉を十分に潤してくれた。
僕は道を間違ってはいなかった。

~竹杖~
道路は131号に入り、山深くなっていった。
所々に見られた薄い雪も徐々に厚みを増してゆく。
ふと道路脇の山の斜面を見ると枯れ竹が数本横たわっていた。
しめしめと僕はそれで雑で見窄らしい杖を、2本こしらえた。
からんころんと竹杖のつく音が心地よく響き渡る。
古民家の庭に蛇口があり、水を頂こうと戸を叩いた。
暫く経ったが誰も出てこない。
諦めて僕は歩を進めた。
すると5分ほど歩いた頃、後ろから来た軽トラが僕の横で停車し、窓を開けて、じいちゃんが顔をだした。
「トントンやってたのはお前さんか?」
「この竹杖ですかね、つくと音が鳴り響くんですよ!」
「いや、それじゃねぇ!お前さんが、うちの戸トントン叩いたのか?」
「あ・・・はいそうです。水をちょっと貰おうと思って」
「先歩いてろ、今汲んでくるから」
そういって、じいちゃんは勢いよく引き返し、また直ぐに戻ってきた。
手渡されたビニールには、茶と栄養ドリンクがあった。
干からびていた僕はそれをお礼と共に受け取って、一気に飲み干した。
「これから歩いてどこまでいくんだ?」
「昭和村です」
「乗ってけ、ここから峠を超えなきゃならんぞ」
「や、や、歩きます!どうもありがとうございます」
「その棒を貸してみろ」
そういって星さんは鉈で枝を削ぎ落とし、みすぼらしい杖の形を整えてくれた。
じいちゃんの名は星さんという。
当時栄えていた林業が廃れ、人々が去り物静かな集落・戸石で、今は熊が人の捨てたゴミを食わないよう不法投棄のパトロールを行っている。再び日本が自国の材木を使うことを願って、様々な事を考えていた。
僕らは暫く雑談し、星さんと別れた。
「きぃつけてな!またいつかここへ寄ってくれ」
竹杖をこれからずっと使っていこう。



~昭和村~
凍り付いた峠を超えてトンネンを出、山あいを抜けると、野尻川に沿って古い古民家が立ち並んでいた。日本の原風景が残された昭和村だ。時間は4時を過ぎている。僕は昭和村へ到着した。
道を歩いていると、前方数㍍程の距離で、車のシートを弄っていたじいちゃんが手を止めて、こっちをじっと見つめている。
「兄ちゃん、そんな荷物背負ってどこの山に登るんだ?」
「いや、山には登らず、青森を目指してるんです。今は郵便局にいこうかと。親から年賀状が届いたと連絡が入り・・・返事を書かなきゃ」
「青森???年賀状をやっからうちに寄って話を聞かせてくれ!」
半場強引に家に引き込まれた。
名を束原さんという。
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昔はこの地で出る縄文遺跡の発掘に携わり、現在は駒止湿原の案内人等をしているという。
僕は束原さんに昭和村の話を沢山聞いた。
今抱えている問題点、この地の歴史・・・熱い珈琲をすすり、ようかんの甘みが疲れた体を癒してくれた。寡黙な奥さんはじっと座って僕らの話を聞いている。
気が付けば、夜が更けてしまっていた。
この村唯一の温泉・しらかば荘へ案内してもらった。
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この温泉の始まりは、黒鉱(くろこ、銅鉛亜鉛の原料となる鉱石)の発掘にある。
発掘していたがなかなか黒鉱は出てこず、代わりに温泉がわき出てきたというのた。
ここに出るのなら他の所にも温泉は出るはずだ!ということでその後、所々で調査をし、温泉を掘ったが温泉はどれもこれもハズレ・・・これ以上温泉に金をかけられないと、このしらかば荘が村唯一の温泉となったのだ。
この雪深い地で唯一の温泉・しらかば荘。
村の住民達にとってかけがえのない存在となっている。
この日も女性達が宴会を楽しみ、風呂では住民達がありふれた世間話を片言に、身を温かい湯に浸し、冷えた体を暖めていた。

2017年1月7日

雪かき東北縦断一日目、親切に甘えて

他に乗客は殆どいないがらんとした電車内。
ボックス席に座った僕は、小さなテーブルの上に年賀状を広げ、ペンを走らせた。今朝来た年賀状の返信である。
電車はガタガタと揺れ、文字がゆらゆらとぶれる。
一通り書き終え、母親に餞別として受け取った弁当を広げて空きっ腹にがっつき入れた。
母親の心配する別れ際の顔が、脳裏に浮かびあがり、なんだか申し訳ない気持ちとちょっとした寂しさに浸った。
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東武スカイツリーラインはスタート地点の会津田島駅へ向け突っ走り、約3時間半かけて到着した。
時間は14時を回っている。
駅を出ると、薄暗い曇り空の下、住宅街が広がっている。
12月の後半に、役場へ連絡を取って、雪かきで困っている民家を案内してくださいとお願いし、快く承諾して頂いた。
「では、到着したら役場まで来てください」と。
しかしそんな話はぶったぎられ、僕は役場へ行かないことになった。
理由は至極単純。
雪が全く無いのである。
今年は異常気象なのか、例年なら1メートルは積もってるこの会津田島では今年は全然降り積もっていないという。
雪が無いのならば、雪かきも出来ない。
役場の方と直前に再度相談し、今回は辞めてまたの機会に来てくださいということになったのである。

雪がなければそれだけ人も困ることは無いであろう。僕は北へ、会津田島から数駅先の養鱒公園駅を目指すことにした。

道路をひたすら歩き続ける。
ザックの肩紐が、100㍑のザックの重みで肩にのめり込み、発って早々に心のなかで悲鳴を上げた。
周りを山々に囲まれ、後ろを振り返ると、夕暮れ近くの陽光が雲間から射し込んでいる。その美しさに疲れが一気に吹き飛んだ。
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写真を撮ろうとカメラのシャッターを切るが、カメラのシャッターが開かない。電源を入れて切り、切っては入れ、何べんも繰り返すが、シャッターはピクリともしない。
おかしい、昨日大ふんばつして買ったばかりの一眼レフ、。悲しき初期不良である。
実は昨日、元々持っていた一眼レフが突然動かなくなり、サポートセンターへ相談したところ、修理に出しても1ヶ月位かかると言われ・・・それでは明日出発する旅に間に合わなく、急遽同じ一眼レフを買ったのである。
数ヶ月後、アラスカへ行く時には2台持っていくつもりだったので、同じカメラを2台買うことに特別ショックは無かったのだが・・・
まさか2台目が買って早々に初期不良を起こすとは・・・山々とどこまでも広がる畑に囲まれ、透き通った空気の中、道路の真ん中で僕は1人怒り狂った。
店に苦情を入れると、会津若松のコジマ電気で取り替えてくれることになった。
※何べんも電気で入れ切れし、たまにシャッターが開いたときに撮った一枚である。

ひたすら続く道に、果たしてこの道はあっているのだろうか・・・疑問を覚えた僕は、道路脇の民家の戸を叩き、出てきた星さんという名前の姉さんとお婆さんに道を尋ねた。
養鱒公園駅ってこの道をまっすぐですか?」
「あらまぁ、こっから歩いて行くんか?遠いぞぉ、ほれミカンをやっから食いながら行きな」
そういってミカンを3つ手渡してくれた。
ミカンは甘酸っぱかったが心は暖まった。
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日が暮れた。辺りは真っ暗になり、ようやく養鱒公園駅にたどり着く。

近くの公園でテントを張り、カラカラの喉を潤わそうと水筒を蓋をひねった。水が殆ど残っていない。僕はテントから出、辺りを見渡した。小さな公園に水道は無い。
直ぐ側の民家の戸を叩き、出てきたお婆さんに水を恵んで下さいとお願いする。
「そんなさみい所で寝るんか?」公園に張ったテントを見て、バーさんが言った。
「風邪ひいちまうべ、家にとまってけ」
どこの馬の骨ともしらぬ原人のような僕を・・・なんと親切な人が多い地なのだろう!
僕はその親切に甘えてしまった。

埼玉県の高校生の食いっぷりが見てみたいもんだ!!さぁたんまりくってけ、と 夕飯がたんまり出てきた。高校生じゃありません、と米を平らげると、すかさずお代わりを追加

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とちの実の餅
8月頃落ちるとちの実を乾燥させ、湯がいて皮を剥き、灰汁をとって、餅にする。
とちの木はここ下郷の地の自然林に沢山生えている。ただその加工が大変なため、今では餅にする人は殆どいないという。

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イカニンジン
初めて聞いたとき、イカ人間と聞こえ、聞き返してしまった。
会津他方では、縁起のよいものとされ、正月に食べられる、イカとニンジンの料理。

山から降りてきて、両腕にカボチャを 抱えてとっていく山猿を怒りながら、のんびりと年金暮らしをしている星さん夫婦。
ごちそうさまでした!!幸先の良い旅のスタートとなった。

2017年1月6日

旅の始まり

まだ僕が幼い頃に青森から埼玉県まで、車で南下する旅をしたことがあると親が言っていた。
しかしその時の記憶が全くない僕にとって訪れたことがない福島県より北は全く未開の世界。
東北とは一体どんな地方なのだろうか・・・そんな単純な疑問がわき起こり、今回の旅を行うことになった。

「雪かき東北縦断の旅」

これが今回の旅の題である。
東北の人々の生き方を見聞しながら、雪かきを手伝い福島県から豪雪地帯を通って青森県まで北上するのだ。
期間は2017年1月6日~3月6日まで。

徒歩、テント泊、自炊が基本。

このブログは今回の旅の記録である。

それでは、気楽にどうぞお付き合いください♪