雪かき東北縦断の旅

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雪かき東北縦断の旅

旅の記録 「雪かき東北縦断」のブログです。期間は2017年1月~3月の2ヶ月間。福島県⇒山形県⇒秋田県⇒青森県と東北地方を雪かきを手伝いながらの縦断に挑戦します!

10日間の修行を終えて

  2月26日、それは竜飛崎へゴールする前日の深夜の事であった。いてぇ…。僕は右足親指の付け根の痛みで目が覚めた。ズキズキと骨まで染み入るような、耐え難い痛みだった。それはまた、過去に経験した覚えのある痛みであった。それを思い出し、瞬時に嫌な予感が頭をよぎった。

時計を見た。針は12時を回ろうとしている。もそもそと寝袋から這い出し、ヘッドライトで痛む箇所を恐る恐る見てみた。ちくしょう…。腫れていた。ほんのりと赤く、トマトの様に丸々と腫れあがっていた。見覚えのある光景だった。そして先ほど感じた嫌な予感は当たっていた。忘れもしない、それは2年前に経験した時と全く同じ痛風発作であった。

竜飛崎まで残り10キロもないゴール直前で僕は痛風発作に侵され、まともに歩けないという危機的状況に陥ってしまっていた。嫌だった。ゴールを目と鼻の先にして痛風によってゴールすることを諦めるなんて最悪だ。僕は電気を消し、足を刺激しない様に、ゆっくりと寝袋に戻って横になった。寒く、真っ暗なテントの中。直ぐ傍でさざ波が岸に打ち寄せては引き戻る音が響いてくる。風は無く、雪も降っていない。波の音以外音は無く、心地よい静寂に包まれていている。僕は目を閉じた。そして治れ!治れ!!と念じながらズキズキと痛む足に意識を浸み込ませていった。体をピクリとも動かさず、他の事を一切考えずただそれ一点に、僕は集中した。治れとひたすら強く念じ、発作が治るイメージを鮮明に作り上げていった。暫くすると体全体の感覚が無くなり、意識はトロトロに溶けて体の内部に溶け込み、親指の痛む箇所へとのめり込んでいった…。どの位時が経ったか分からない。いつの間にか意識は無くなり、僕は眠りに落ちていた。

薄い意識の中にカモメの鳴き声が入り込んできた。パッと目を覚ました。外は薄明るい。朝が来た。恐る恐る親指を動かしてみた。痛みが無い。昨夜あれ程痛んでいた箇所が全く痛くない。寝袋から出て見て見ると、腫れもすっかり引いている。何事も無かったかのようにすっきりとしている。これを読んでいる方の大半の方は信じ難く疑ってしまうかもしれないが、僕は自己治癒力で見事痛風発作を治したのだ。そして2月27日、無事歩いて竜飛崎へゴールすることが出来たのである。

これはほんの一例である。今から4年前のある日、この日以上にどうしようもない絶望的な境地に陥った際に、僕はこの療法を自ら編み出した。その時から今現在までの間、僕は自分の体に何か故障が起きた時、幾度となくこの自己流の治療法で病院や薬に頼らずに治してきた。それは捻挫であったり、腹痛や風邪であったり…色々だ。人の潜在意識がもたらす影響は本当に凄い!そして心のどこかでもしかしたら僕が行っているこれはいわゆる瞑想って奴なのかもしれない…僕はそう思っていた。

だが今まで、それ以上特にこの不思議な力について追及はしてこなかった。それをもっともっと追及してみようと思ったのはごく最近の事である。何故か…それはこれから5ヶ月のユーコンの長旅に出るからである。

これから行く長期間のユーコンの旅では何があるか分からない。何十日も荒野の中で生活し、どんな不測の事態が起こるのか分からない。だからもっとこの力を極めてから行こう!それが今回行った修行のそもそもの動機であった。

加えてもう1つ。今以上に感覚をもっともっと研ぎ澄まし、自然に溶け込んで、自然を思いっきり感じ取ること。

 自己治癒力を高めること、そして感覚を研ぎ澄ますこと…これを行う為、僕は瞑想の修業を行った。そして、やるのなら中途半端ではなく、徹底的にだ。瞑想修行の名前は『ヴィパッサナー瞑想』である。

 ヴィパッサナー瞑想とは、ブッタが悟りを開いた際に用いた瞑想法である。僕自身現在も深く理解していないため、詳しく説明は出来ないが、世の中、数多くある瞑想法の中の1つなんだなと思えばいいと思う。千葉の森の中にこの瞑想修行の施設があり、修業は10日間に及ぶ。4月12日~23日まで、治癒力と感覚を研ぎ澄ます為、僕はそこへ行ってきた。

 12日、家からゆらゆらと電車で揺られること約3時間。都会の喧騒とする景色は電車が走るにつれて消えてゆき、田園風景が広がっていった。荻原駅で降り、バスでさらに15分程走り、そこから水の張った一面の田を眺め、ケロケロと鳴くカエルの鳴き声を聞きながら歩くこと15分、その施設に到着した。施設は小高い丘の上のだだっ広い草地にあった。周りは山、木々に囲まれている。空気の澄んだ静かな場所だった。小さな体育館の様な質素な建物とバンガローが数個立ち並び、奥の方にテントが10個程並んでいる。

 そして修業が始まった。続々と集まって来る人々…。どこか遠いはるか海の向こうの無人島から、椰子の実を飲みながら筏をギーコギーコ漕いでやって来た様な、見たことは無いがまるでロビンソンクルーソーの様な髭や紙をしている人…見るからに僧侶の人…真面目で堅実そうな人…集まってくる人は皆、僕とはまるっきり別世界で生きている様な、今まで話したことも接したことも無い個性ふんだんに溢れる人達ばかりであった。そんな人達が、男女合わせて約70人が集まった。10日間の修業の間、いくつか規則があった。大まかに言うと、男女2手に別れ一切の接触を断つ。男性どうしでも指導者以外、他人と一切の会話をしてはならず、体を触れること、ゼスチャーも目を合わせることも許されない。これは他人から干渉を受けず沈黙を貫き、徹底的に自分自身と向き合う為なのだろう。10日間、食事は奉仕の方々が作ってくれ、朝昼の2食のみ。肉と魚は一切使わない玄米菜食メニューである。寝る場所はドミトリーとテントが選べ、僕はテントを選んだ。朝から夕までウグイスが鳴き続け、毎夜フクロウがすぐ傍の樹上から鳴いていた。心地よい空間である。他、携帯や本、メモなどが一切禁止。

 いよいよ修業が始まった。あぐらを組んで背筋を伸ばして目を瞑り、鼻にのみ意識を持って行き何も考えず、入っては出ていく呼吸を例え足が痛くなろうともどこかが痒くなろうともそれに反応せず、ただただひたすら観察するのである。しかし、これが非常に難しい。何も考えずじっと呼吸を観察しようにも心は、過去に未来に過去に飛び回り勝手に想像を膨らませ、自ら作り出したその想像によって勝手に気持ちを浮き沈みさせるからだ。現在進行形で起きている呼吸と言うものに真正面から向き合わず、常に何処かへふらふらと放浪してしまう。そんな彷徨い出た心を呼吸に再び呼び戻し意識を無にして集中するも、1分足らずでまた何処かへ行ってしまう。そんな苦闘を1日10時間、3日間ひたすら行った。特に変化は何も感じられず、足と腰の痛みと永遠と続くのではなかろうかという長い長い時間との闘いであった。唯一現れた変化と言えば、今まで全く見ることが無かったの夢というものを、次から次へと溢れんばかりに見るようになったくらいである。

3日が過ぎ、瞑想に入って行った。鼻のみに意識することは変わらず、今度は鼻に感じられる感覚を感じ取るという作業になった。入っては出ていく空気が鼻腔の壁面へぶつかってり、微かに鼻孔動くといった感覚が感じられた。心はその間いつでも彷徨い出、その戦いは相変わらず続いた。それをまた3日ほど続けた。特に何も変化は感じられず、続く苦行の様な行為に苦しみ、あぁもしかしたらこのままなにも得られず終わるのか…一体俺はこんな所で何をやっているのか…そんな思いが湧き起こってきた。

 日が経ち修業も後半を過ぎた頃、本格的な瞑想に入って行った。今までひたす鼻へ集中していた意識を、今度は頭のてっぺんから足のつま先まで全身に向け、隅から隅まで全身くまなく感覚を感じ取っていくのである。そして現れた感覚に反応せず、常に平静に観察し続けるのである。これは物事を全て変化し、やがては消えていくという真理を、実体験を通して感じることを目的としていた。いつか消えゆくものに対して固執する事や嫌悪感に怒り等を抱くことに何の意味も無いことを悟り、心を解放をするというのである。

初めは殆どの箇所で感覚など何も感じられなかった。しかし感じられないところに、逃げてゆく心を捕まえて根気よく意識を暫くおいておくと、少しずつではあるが何かしらの感覚が感じ取れるようになってきた。初めはピクピクとした感じが出始め、それが段々と強くなり、ビリビリと電気がほとばしるような感覚になっていった。瞑想を行ううちに感覚はどんどん鋭さを増し、意識を川の流れの様に全身に流し、全身にビリビリとした感覚を感じ始めた。何なんだこれは!!それは今まで体験したことの無い感覚であった。そして今まで体の表面だけに留めていた感覚を今度は身体の内部まで持って行くと、体の内部、余すところなく隅々まで感覚が感じられるようになった。体中に充満する電気の様な感覚、それはエネルギーの波長の様に思えてならなかった。これを使って色んなものに影響を及ぼせるのではないかと思えた。そんなある時、知人の重い病気が治る様に祈ってそのびりびりとした感覚を破裂する程目一杯貯め続けた。そしてそれを遠く離れた地に居るその人に届く様、頭の頂点から空に向けて一気に放出してみた。弾けた感覚はブワ――ッと一気に一直線に上へと飛び出していき、それは天井を突き抜けて宇宙まで行ってしまうような勢いで空へ高く高く昇っていった。やがて体中に充満していた感覚は出し尽くされてすっからかんになった。体の中は内臓も骨も肉も何もかも無くなり、心の中も空っぽになってしまった様な、とてつもない解放感に包まれた。張っていた背中の筋肉は消え失せ、体がこんにゃくの様になった。凄まじい程の柔らかさであった。このままどうなるのか抗わず自然の成り行きに任せてみることにした。体はぐにゃりと折れ曲がり、頭は下へ下へと垂れていった。このまま地面を突き抜けて地球内部を貫き、日本の裏側へ、ブラジルまで行けそうな気がした。その時、こつんと頭に何かが当たった。目を開けると、それは床だった。僕は地面を通り抜けることはなかったのである。しかし、感じたことの無い満足感と解放感、そして幸福感に包まれていた。

 感覚は針の様に鋭くなっていった。外へ出てみると、周りを取り囲む木々の色が鮮明に見え、鳥のさえずりに風のそよぐ音、地面を踏みしめた時の感触、肌に触れる朝露に濡れた草、1mほどの青大将を草むらで見つけ、不思議と逃げないでいる蛇と目と目を暫くの間合わせ、体に触れそのつるつるの感触を感じ取り、虫の死体を巣穴に運び込もうと懸命に働く蟻達に魅入り、目覚めたばかりで羽が朝露で濡れて動くことが出来ない羽虫達を発見し、口に含む一口の水の柔らかさに甘さ、ご飯を口にれた時に口内に染み入る温度と味…表現力に乏しい僕には言葉では表現出来ないが、生きている地球をジンジンと感じることが出来た。例えようも無い快感であった。

 修業は終わり、会話することが許され、皆破裂する風船の様に話し始めた。聞けば、寝ている時に幽体離脱の様な体験をした人、腹の中にエイリアンの様なものが居座ってそれを取り出すような感覚を覚えた人…面白い体験段を次から次へと聞けた。10日間も休みを取ってくる人…それは面白い人ばかり、いや全員強烈すぎた。

 修業を終えてみて想像以上の事が得られた。中でも一番は、当初まるっきり眼中になど無かった心の平穏であった。そして感覚が研ぎ澄まされた事である。この身に付けた感覚を使って自然を味方につけ、ユーコン大自然の中に思いっきり溶け込もう!!そこでは一体どんな体験をし、そして何を感じ何を考え何を思うのか…いよいよユーコンへの旅が楽しみになってきた!!!

 東北を旅をしている際に、各地で幾度となく様々な瞑想の話をする機会を得た。それらは全て、僕が瞑想を本格的にやってみようと思うきっかけへとつなげてくれた。本当に感謝している。特にヴィパッサナー瞑想という存在を教えてくれた奥会津に住む老沼さん、老沼さんへと導いてくれた議員さんの栗城さんに温泉の受付のお兄さん、そして奥会津へ行かず会津若松へ抜けようとしていた僕を奥会津へと招いてくれたマタギの猪俣さん、猪俣さんへと導いてくれた南会津のナオミさん…今回の旅で出会った人々皆に感謝しています。どうもありがとうございました!地球を感じ取るという素晴らしい感覚を得ることが出来ました。これからこの感覚をさらにさらに高めていきます。

 

※親に「瞑想してきた」と言うと…オーム真理教とかそういうのじゃないよね…?頭大丈夫?と言われた。