東北縦断の旅10日目 ~初めての薪風呂~
午後3時過ぎ、昼寝から目覚めたひでじいが言った。
「よし、折角だから今日は風呂に入ろう。1週間ぶりの風呂だ!うちは昔から薪風呂なんだ。八須さん、薪風呂に入ったことはあるか?」
そう言われて僕は、乏しい今までの記憶を漁ってみた。
いつのことだが・・・・北海道の夜の森の中で、小川の音を聞きながら薪風呂に入っている情景がぼんやりと浮かんできた。
でもこの記憶は確かではなく、凄く曖昧だ。(後日親に聞いてみたら、北海道では温泉ばかり入っていて薪風呂に入ったことは無いそうだ。一体この記憶とも分からぬものは何なのだろうか・・・僕の母型の爺さんは北海道生まれなので、先祖の記憶なのかもしれない)
「薪風呂・・・いや、無いです」僕は答えた。
「そうか、じゃあきっと気に入るぞ!今から薪焚きだ」
そうして僕らはかんじきを履き、戸を開けて雪の降る外へと出た。
ひでじいの敷地内には建物が3つあり、冬の間は、2年前まで蕎麦屋を営んでいた少し新しい木造の建物で生活している。
そこから20m程離れた場所に茅葺屋根の建物があり、そこは風呂を入る時にだけ使用していた。
積もっている雪の量がとにかく多いため、その20mを行くのにも一苦労である。
「ワシは歩くの遅いから先に行っててくれ」ひでじいにそう言われて僕はかんじきで雪を踏み固めながら風呂があるという古い建物へ歩いてゆき、くたびれた戸をガラガラと開けて中に入った。中は暗くしんと静まり返っていて、とても寒い。この家だけ何十年も時が止まったかのような古く、掃除が行き届いていないのだろう、荒れていた。
暫くすると、ひでじいも入ってきて薪を焚く準備に入った。
薪小屋から一束薪を持ってきて、マッチを擦ってかまに火を焚きつけた。
みるみると火は燃えあがり、白い煙がもうもうと溢れ出てきた。
部屋の中はあっという間に煙で満たされた。
家全体に染み渡る心地よい木香が鼻をついてきて、自然と心が落ち着いてくる。
「40分位したら40℃位になるだろうから、それまでゆっくり待とう」ひでじいはそう言ってこたつに入り、テレビをつけて相撲を見始めた。
「あぁ~〇〇負けたぁっ!!」「勝ったぁ!!」などとテレビを見て興奮している。
しかし僕には全く分からない。
相撲に、いやテレビに興味が沸かず、見ていてウズウズともどかしくなってきた。
相撲よりも、この茅葺の家が一体どうなっているのか気になった。
「この家気になるんで、探検してきてもいいですかね?」僕は尋ねた。
「あぁ、前来た孫も探検探検って言って家じゅうを真っ黒になって走り回ってたぞ。すすが凄いからスリッパでも履いて行ったらいい、もしかしたら何か面白いもんが見つかるかもしれんな!」
僕はスリッパを履き、暗い階段をギシリッ、ギシリッと音を立てて上がっていった。
2階は1階以上に荒れ果てていた。床は茅(かや)で埋め尽くされ、破れた障子戸が壁にもたれかかり、使い古された椅子や樽などが置き捨てられている。昔、蚕を育てていたのだろう、柱に蚕の干からびた死体が引っ付いている。まるで廃墟内を探検しているようで、心が踊った。
※探検の戦利品。未開封のカルピスと焼酎。ひでじいは「でかした!!!今日はこれで乾杯だ!と喜んだ。
「お~ぃ、い~湯加減だぞ~」そんな声が聞こえてきた。湯が沸いたのだ。
桶の蓋を開けると、透明な湯からゆらゆらと優しく湯気が立ちのぼっていた。
外は吹雪いており、隙間風が寒く、ガタガタと戸が軋む音が聞こえる。
こいつが薪風呂か!生涯初めての薪風呂だ。
「何分でもゆっくりと浸かるといい、熱くなったらここから水を足してくれ」ひでじいが言った。
窯で燃える木の香りがふんわりと漂うなか、湯につかった。温かい湯が一瞬にして全身を包み込み、例えがたい幸福感に満たされた。同時にいろんな想像が頭の中を駆け巡った。
ある日、木から種が地に落ちた。
その種は水を吸い上げて芽を開き、周りの幾数もの草木と競い合って天に身を伸ばしていった。
この雪深い山奥で時に暴風雨に晒され、雪に埋もれ、猛暑に苦しみ、そして色んな生き物の拠り所となって何年、何十年と長い歳月を費やして育った木。
木、一本一本にしろ壮大なドラマがあったのであろう。
過酷な自然の中で育ったそんな木々が湯を沸かすために、一瞬にして燃やされてしまう。それもたかだか体を温めるため?疲れを癒すため?そんな僕の利己的な理由などのためにだ。そんな使い方をして、命を懸けて育ってきた木の魂がどうして報われるだろうか・・・。この地で自然と共に生きて来なかった、ひょこっと現れた僕にそんな権利などあるのだろうか。
燃える木の香りを嗅ぎ、底の方からじんわりと暖まっていく湯に浸かりながら、色んな思いが込み上げてきた。
普段、家で入っていたガス風呂ではこんな想像をしたことが無かった。
そんな木々に報いるために、この湯を堪能しよう!!この湯の温かみは燃える木の命だ!!木々よありがとう。
僕は体の隅々まで湯のぬくもりが行き届くように、存分に浸かった。気が付くとあまりの気持ちよさにウトウトと眠ってしまっていた。
心行くまで旅をし、将来はどこか大自然の中に身を置いて、自然と共に暮らそう。そう思った。
翌朝、まだ夜が明けきらない外を見てみると、雪は降っているものの大分弱まっている。
「まだ、ゆっくりしていてもいいぞ」ひでじいが言った。
しかし、歩かなくて、僕は北へ行かなければならない。
昨日入った薪風呂もそうであったし、まだまだ僕には知らないことが多すぎる。
未知の地を歩き、知らないことを知って、見聞を広げなくてはならない。
僕はひでじいにお別れすることにした。
面識もない僕に本当に良くしてくれ、ありがとう。
この次の夏は北米に行ってしまうので、また次の夏、恩返しに大変だという畑仕事を手伝いに行こうと思う。
10時、雲間から青空が覗き、眩しい太陽が顔を出した。
それは久しぶりに見る太陽だった。
明日明後日で天気が回復しそうなので、大峠を越えて山形へ入れるかもしれない。
僕はひでじいに別れの挨拶をして、家を出た。
来た時と同じように窓から顔を出している。「またいつでも来なさい!」と。
山奥で1人で暮らすひでじい、この家でひでじいと共に過ごして得たことはとても大きかった。