東北縦断の旅7日目 ~喜多方へ~
深夜、突然テントの外から物凄い音がして、堪らず目が覚めた。
入口を開けて顔を出すと巨大な除雪車が、ガガガガッガガガッと音を響かせながら広い駐車場内を行ったり来たりしていた。
時計を見た。まだ2時半過ぎ、どえらい時間だ。とんでもない時間に目覚めてしまったものだ。
僕は再び眠りという安息の世界に舞い戻ろうと、寝袋の中に潜りこんだ。
しかし、鳴り響く音が決してそれを許さない。
ガガガガガッ、ピーピーピーピー・・・ガガッガガガ・・・
暫くすると除雪車は駐車場から去っていった。
が、それでも音は遠くの方からずっと聞こえ、耳から離れなかった。
その後、結局眠ることは出来ず、気持ちのよくない朝を迎える。
今日は1日寝不足である!
~喜多方へ~
日の出を迎え、僕はテントを畳んで荷を整え、北へ約20キロ離れた山形県との県境地・喜多方へ向かって歩き始めた。
寒波の影響で雪が昨晩からずっと降り続けており、一晩見ぬうちに町はすっかり雪景色に変わっている。
駅前には通学する大勢の学生達が、降りしきる雪の中を寒そうに歩いている。
その学生達が注ぐ好奇な目線の中を潜って駅前通りを越え、暫く歩くと磐越道の高架橋が見えてきた。
高架下に行って、減った小腹を満たそうとザックを下して食料が入っている上ポケットのチャックを開けた。
すると直ぐに、ぷ~んと強烈な匂いが鼻を突き、小さな茶色い粒が数粒、粘ついた糸を引いてポケットの開いた口から垂れてきた。
慌ててこぼれ落ちる粒を手で受け止めた。それは納豆だった。
ポケットの中で一体なにが起きてるんだ!嫌な予感がし、チャックを全部開いて中を見た。そこには破裂したパックから幾つもの納豆粒がポケットの中に飛び散っていた。
携帯やその充電器、本などに納豆がこびりついてしまっている。
(汚い写真ごめんなさい!!)
金山町で食べた納豆もちが美味しすぎて、その味が忘れられず、昨日買った納豆であった。
あぁぁやっちまった・・・僕の頭は納豆に対する申し訳なささで一杯になった。
この納豆に出来ることは残さず食べることである。
僕は手で一粒一粒納豆を集め、口に運んだ。
味に別状はなかった。当たり前だ。納豆は納豆、美味かった!!
気を取り直して町中を歩いていると行きかう車の走行音に苛まれ、僕は田舎道へと逸れた。
だだっ広い畑の中、民家が点々と立ち並んでいる。
車の交通量はグッと減り、なんだか気分が落ち着いてきた。
やはり歩くのはこういう道に限るものだ。
暫く歩くと左足の人差し指の先端が痛みを発していることに気が付いた。
踏み込むたびにズキンッと痛みが走る。
爪がとうとう割れてしまったのだろうか・・・。
少し先に、真っ白い田畑の中、ぽつんと建つ小さな神社が見えた。
鳥居を潜って、ザックを下しておやしろに腰かけ、靴と靴下を脱いだ。
足の裏は豆がいくつも潰れ、ビラビラに皮がむけている。
痛みを発する指の先端を見てみると、爪の内が内出血で真っ黒に変色していた。
左足だけでなく右足もなっていた。
靴が合わないのか・・・でもこの靴を履いてする登山では、こんなことになったことはまずない。
コンクリートの上を重いザックを背負って何10キロも歩いているからだろう。
治しようが無い。歩いていればそのうち痛みに慣れ、気にならなくなるだろう。
これからたかだか2か月の辛抱である。
また暫く歩くと、道は大通りにぶつかった。その道を北へ何処までも歩いてゆけば、喜多方へ着くはずだ。
大通りへ出ようとしたその時、急に風と雪が強くなってきた。
堪らず近くにあった民家の倉庫の影に逃げ込んだ。
すると家の中で洗濯物を干していたおばちゃんと、ガラス越しに目があった。
「この雪の中、一体何処に行くんだい!?」戸を開けておばちゃんが訪ねてきた。
「喜多方です!でも雪が強くなってきたんで、ここで雪が少しおさまるのを待たせてください」
「喜多方??まぁ、そんなとこにいないで、家に上がって休まなんかい?」
何処から来たのかも分からぬ、見ず知らずの男を家に呼び入れて、恐くないのだろうか?
言われるがままに僕は家へ上がった。
そこは平塚という部落で、おばちゃんの名前は石田さんという。
「ほれ饅頭でもどうぞ!」美味そうな饅頭がボンッと出てきた。
「大峠を越えていくのかい?私があの峠を越えたのは何十年も前になるがな・・・」
饅頭を頬張りながら、これから大峠を越えて山形へ抜けることを伝えると、おばちゃんは大峠にまつわる自身の体験談を語りだした。
「何十年も前になるがな・・・ある時、ブドウが食べたくなったのよ、山形のブドウが。そんならばブドウ狩りに行こうとなり、家族皆1台の車に乗って山形へ向かって大峠を走ったのよ。だけど道はグネグネと曲がりくねっててねぇ、最悪よ!皆酔うわ酔うわ、ゲーゲーと酔うわ・・・山形に着いた頃には皆ブドウ狩りどころじゃなかったのよ!」ゲラゲラとおばちゃんは笑っていた。
大峠を越える際、大峠にまつわるこの話は、まっっったく役に立たないであろう。
いや役に立つかもしれない。
もし歩いていて辛くなった時、思い浮かべよう。
おばちゃんの顔を。車で酔いながら苦しんでいるおばちゃんの顔!!
きっと笑いが出て、辛さが少しでも無くなるはずだ!!
磐越西線を右手に走る旧同121号線沿いは、一面だだっ広い平野地で風が唸るように吹き荒れていた。喜多方へ近づくにつれて雪は減っていった。
夕方四時半ごろ、ようやく道の駅・喜多の郷にたどり着いた。
テントを張って駅中にある温泉”蔵の湯”に入った。
温泉は広くて温かく、今日1日の疲れを十分に癒してくれた。
まだまだこれから数日間雪は降り続く予報で、これからの予定をどうするか考えていると、ふと数日前に僕が所属している山岳会の先輩(三澤さんといって、会津に惚れ、南会津の山奥にログハウスを建てて住んでいる会津好きの男性)からFB経由で入ったメッセージを思い出した。
「喜多方経由で行かれる場合は山都に住む私の友人を訪ねるとdeepな情報が得られると思います」
その方は浅見さんていう方で、都会から移住し、ひぐらし農園という農場で農業をやっているそうだ。
早速三澤さんに電話し、浅見さんに連絡を入れてもらった。
すぐに連絡が取れ、明日の午後からならば会えるということなので、では昼過ぎを目安にそちらに向かいますと言って電話を切った。
濡れた靴を履いて温泉を出る。湿った靴が嫌な感じだ。
テントに戻ってストーブを点けて本を読みながら、今日1日を振り返り、僕は眠った。
飯豊連峰から連なる山々の中を、長さ約30キロの峠道が走っている。121号線だ。それを抜ければ山形県米沢市に行くことができる。しかし、この大峠はものすごい量の雪が降るといって有名で、歩道は雪に埋まり車道の隅を歩くしかない。乗用車や大型トラックが猛然と行きかう中を歩くとあって、雪が舞い視界の悪い日に歩くことなど自殺行為に等しい。越えるならば晴天の日に限る。寒波が到来したとあるが、数日待っていればその寒波も消えてなくなり、必ず晴天がやってくるはずだ。それまで焦らず急がず、この飯豊連邦の麓地でゆっくり待機していよう!