雪かき東北縦断の旅

雪かき東北縦断の旅

旅の記録 「雪かき東北縦断」のブログです。期間は2017年1月~3月の2ヶ月間。福島県⇒山形県⇒秋田県⇒青森県と東北地方を雪かきを手伝いながらの縦断に挑戦します!

東北縦断二日目 昭和村を目指して

まだ夜が明けて間もない頃に、星さん夫婦に別れを告げて向かった先は、南会津から50キロ程離れた奥会津・金山町。
金山町に猪俣さんというマタギの方が住んでおり、会って話を聞くためだ。
ただ50キロという距離を重い荷物を背負って、1日で行くことは、まぁまず無茶であろう。
そういうわけで、途中30キロ程離れた昭和村を中継していくことにした。



~道を間違えて~
養鱒公園駅を出発し、田畑に囲まれたた道路を地図を頼りに歩いて行く。回りに雪はない。空は晴れ渡り、陽射しが暖かく、汗がじんわりと滲んでくる。
1つ先のふるさと公園駅を越えると道が2つに別れた。町で貰った地図を見て、近道であろう左に伸びる細い道を選ぶ。道は線路沿いを進んで、暫く歩くと藪に突っこみ、滔々と流れる大川に行く手を阻まれた。道を間違えたのだ。地図には乗っていない道を僕は進んでいた。引き返そうにも時間と体力が勿体無い。周りを見渡した。あぜ道を通り、田畑を横れば道路へ出られるはずだ。
道路を目指しあぜ道へ歩を進めてゆく。
泥濘んだ道は、体重のかかった足を、土のなかに引きずり込んでいった。
藪に覆われた6メートル程の土手が現れた。
草の棘が服を貫いて、チクチクと肌を痛め、木々から垂れ下がる腕程の蔓が行く手を遮ってくる。
枯れ草で足を滑らせ、前のめりにすっ転び、土が飛び散った。
近道を行こうとした報いかな・・・そう自分に言い聞かせて立ちあがり、土手を登りきった。
リンゴ畑の向こう20㍍程先に道路が見えた。安堵の一息がもれる。
それを目指し歩いている途中、畑の隅に腐ったリンゴが山積みに捨ててあった。
食べられることなく腐ってとろけているどれもこれも何だか悲しそうに見えた。
勿体ねぇ・・・そう思ってじっと見つめていると、まだ食べられそうな小さなリンゴが1つ目に留まった。
それを手に取り、ザックの布で拭いてかじった。
誰にも食べられずに腐り果ててゆく筈のリンゴは、乾ききった僕の喉を十分に潤してくれた。
僕は道を間違ってはいなかった。

~竹杖~
道路は131号に入り、山深くなっていった。
所々に見られた薄い雪も徐々に厚みを増してゆく。
ふと道路脇の山の斜面を見ると枯れ竹が数本横たわっていた。
しめしめと僕はそれで雑で見窄らしい杖を、2本こしらえた。
からんころんと竹杖のつく音が心地よく響き渡る。
古民家の庭に蛇口があり、水を頂こうと戸を叩いた。
暫く経ったが誰も出てこない。
諦めて僕は歩を進めた。
すると5分ほど歩いた頃、後ろから来た軽トラが僕の横で停車し、窓を開けて、じいちゃんが顔をだした。
「トントンやってたのはお前さんか?」
「この竹杖ですかね、つくと音が鳴り響くんですよ!」
「いや、それじゃねぇ!お前さんが、うちの戸トントン叩いたのか?」
「あ・・・はいそうです。水をちょっと貰おうと思って」
「先歩いてろ、今汲んでくるから」
そういって、じいちゃんは勢いよく引き返し、また直ぐに戻ってきた。
手渡されたビニールには、茶と栄養ドリンクがあった。
干からびていた僕はそれをお礼と共に受け取って、一気に飲み干した。
「これから歩いてどこまでいくんだ?」
「昭和村です」
「乗ってけ、ここから峠を超えなきゃならんぞ」
「や、や、歩きます!どうもありがとうございます」
「その棒を貸してみろ」
そういって星さんは鉈で枝を削ぎ落とし、みすぼらしい杖の形を整えてくれた。
じいちゃんの名は星さんという。
当時栄えていた林業が廃れ、人々が去り物静かな集落・戸石で、今は熊が人の捨てたゴミを食わないよう不法投棄のパトロールを行っている。再び日本が自国の材木を使うことを願って、様々な事を考えていた。
僕らは暫く雑談し、星さんと別れた。
「きぃつけてな!またいつかここへ寄ってくれ」
竹杖をこれからずっと使っていこう。



~昭和村~
凍り付いた峠を超えてトンネンを出、山あいを抜けると、野尻川に沿って古い古民家が立ち並んでいた。日本の原風景が残された昭和村だ。時間は4時を過ぎている。僕は昭和村へ到着した。
道を歩いていると、前方数㍍程の距離で、車のシートを弄っていたじいちゃんが手を止めて、こっちをじっと見つめている。
「兄ちゃん、そんな荷物背負ってどこの山に登るんだ?」
「いや、山には登らず、青森を目指してるんです。今は郵便局にいこうかと。親から年賀状が届いたと連絡が入り・・・返事を書かなきゃ」
「青森???年賀状をやっからうちに寄って話を聞かせてくれ!」
半場強引に家に引き込まれた。
名を束原さんという。
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昔はこの地で出る縄文遺跡の発掘に携わり、現在は駒止湿原の案内人等をしているという。
僕は束原さんに昭和村の話を沢山聞いた。
今抱えている問題点、この地の歴史・・・熱い珈琲をすすり、ようかんの甘みが疲れた体を癒してくれた。寡黙な奥さんはじっと座って僕らの話を聞いている。
気が付けば、夜が更けてしまっていた。
この村唯一の温泉・しらかば荘へ案内してもらった。
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この温泉の始まりは、黒鉱(くろこ、銅鉛亜鉛の原料となる鉱石)の発掘にある。
発掘していたがなかなか黒鉱は出てこず、代わりに温泉がわき出てきたというのた。
ここに出るのなら他の所にも温泉は出るはずだ!ということでその後、所々で調査をし、温泉を掘ったが温泉はどれもこれもハズレ・・・これ以上温泉に金をかけられないと、このしらかば荘が村唯一の温泉となったのだ。
この雪深い地で唯一の温泉・しらかば荘。
村の住民達にとってかけがえのない存在となっている。
この日も女性達が宴会を楽しみ、風呂では住民達がありふれた世間話を片言に、身を温かい湯に浸し、冷えた体を暖めていた。

2017年1月7日