雪かき東北縦断の旅

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雪かき東北縦断の旅

旅の記録 「雪かき東北縦断」のブログです。期間は2017年1月~3月の2ヶ月間。福島県⇒山形県⇒秋田県⇒青森県と東北地方を雪かきを手伝いながらの縦断に挑戦します!

東北縦断9日~10日目 ~宮古の山奥で一人で暮らす”ひでじい”に会いに~

 こたつに入って酒を飲みながら浅見さんと僕は、眠くなるまでの数時間大いに語った。

いくつかの話題の中で特に僕の心を引き付けたのが、守人の話であった。

 

 今はもうないのだが・・・浅見さんの住む早稲谷という集落から、うんと離れた山のその稜線上に、数年前まで家が一軒建っていた。そこの家には4人の親子夫婦が暮らしていた。

 雪が降る、寒いある冬の夜のことであった。その家が火事になった。

火に気が付いた子夫婦は慌てて家を飛び出した。しかし年をとった親夫婦は逃げ遅れ、家に取り残されてしまった。冷たい雪が舞う夜に、火は衰えることなくますますその強さを増していった。先に逃げた子夫婦の旦那は、親を助けるために燃え盛る火の中に戻って行った。妻は集落の人々の助けを求めに、山を降りた。だが腰の高さほどある深い雪が行く手を阻み、中々進めない。それでも何とか集落に辿り着いた。村人は事情を聞いて直ぐに消防隊を結し、山道を登って燃える家に向かっていった。雪は深く、消防車は中々進めない。皆で雪をかき分ける。悪戦苦闘の末、何とか家に辿り着くも、時すでに遅し。家はもう既に全焼してしまっていた。浅見さんは聞いた。「なんで人里離れたあんな不便な所に、家があるのだ」と。村人は言った。昔、あの家の屋根裏を見せてもらった時に、そこには弓矢や槍が沢山隠してあったんだ・・・あの家族は、守人の末裔だったんじゃないか。人里離れた不便な場所、見晴らしの良い山の稜線上に建っていたのも、そこが敵の襲撃を阻止する適地だったからであろうか。

 

 夜もすっかり更けた頃、浅見さんはこたつに入ったままグーグー眠ってしまった。

僕は電気を消し、こたつに半身を入れ、座布団を枕代わりにして横たわった。

時間は12時を過ぎていた。今日はもう除雪車の轟音に妨げらることなく寝れるだろう。

僕は目を閉じて、幸せに溢れた世界に旅立とうした。

その時だった。今まで静かにしていた2匹の猫達が、まるでこの時を待ってましたと言わんばかりに、暗闇の中ガサゴソと動き回り始めた。

2日前にこの家に来たばかりの子猫の目には、何もかもが新鮮に映ったのであろう。

好奇心と冒険心に富む子猫は、寝不足で苦しむ僕のことなど気に留めることなく部屋中をやたらめったら駆け巡った。もう一匹の猫も子猫に共鳴してか、走り回った。

居間の小さな限られた空間は、彼らの燃え滾る興奮を鎮めるのには少々狭すぎるのかもしれない。彼らは何度も棚の上から果敢にジャンプし、そのたびに乗っていた書類や物がバサバサバサーと雪崩落ちた。畳に爪をひっかけてカサカサカサッと音をたてて走っては突然止まり、空き段ボールの中に飛び込んだりした。

彼らは鎮まることなく、ひたすら走り回った。

こうして猫達の発する音にやられてしまい、結局この日僕は一睡もできなった。

猫の暴れる音などで寝れぬとはなんと神経質な体質なのだろうか・・・

 

 早朝3時過ぎ、浅見さんと僕は起床して暗い夜道を山都駅へ車で向かった。

雪が猛然と降っていた。暗いうえに吹き荒れる雪で、視界が非常に悪い。

間もなく僕は猛烈な眠気により、意識が半分ぶっ飛んだ。

隣で運転する浅見さんが時折話しかけてくるのだが、それを聞き取ってなんといっているのか判断することが出来ず、僕は全く見当違いの訳分からぬ返答をしていたことと思う。

駅のホームには雪が厚く降り積もっていた。

僕らの他に2人の男性が加わり、まだ暗い夜明け前の凍てつくさ寒さの中、雪かきをした。

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終わると、車に乗り込み、隣の荻野駅へ移動して雪をかく。

再び山都駅へ戻ると、かいたはずの雪が高く積もっていた。そしてまた雪をかく。

これまでの道中、沢山の方々に親切にしてもらったので、この雪かきは福島県への恩返しであった。

 

 昼過ぎ、浅見さんと空っぽの胃袋を腹に抱え、茶房”千”の扉を潜った。

秋庭さんが自家製手打ちうどん”カレーうむどん”をご馳走してくれた。

うむどんを食べながら、秋庭さんと浅見さんは、ここから10キロ程離れた山間に宮古という部落があり、そこで暮らしているある爺さんの話を聞かせてくれた。

その爺さんは”ひでじい”と呼ばれ、人里離れた山奥に1人で住んでいるのだそうだ。

物知りで癖のある面白い爺さんで、会って話をすればきっと貴重な話を沢山してくれるよ、と、そう言うのだ。

それを聞いて僕の気持ちは”山奥に1人で暮らす、ひでじい”に向いてしまった。

「会いたい?それじゃあ電話してみるね!」秋庭さんはそう言って、ひでじいに電話した。

 

 浅見さんの車に乗せられて、僕は茶房”千”を去った。雪は猛然と降り続けていた。町を抜けて山へと通じる道へ入ると、民家は直ぐに消えていった。小高い山に囲まれた雪道を暫く走ると、古民家が幾つか立ち並ぶ小さな集落・宮古が現れ、そこからさらに山の上へと通じる道を走っていく。雪が道路を厚く覆っていた。積もった雪に阻まれて、今にも車が動かなくなってしまいそうだ。

「これは早く帰らないと、帰れなくなるな」浅見さんが体を前方に屈め、注意深く前に目を凝らしながら言った。雪蹴散らしながら暫く走ると、山の中腹に積もり続けた深い雪に半ば埋もれて、家がポツポツと3件ほど現れた。道路に面した家の窓から爺さんが顔を覗かせていた。

「よく来た!さぁ入れ入れ!!」

家の中は暗く、居間に入ると、茶菓子や菓子袋・箱、ジュースに缶コーヒー等雑多なもので溢れかえっているテーブルの前にひでじいがいた。

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顔には大きな青黒いあざが付いていた。

「えっひでじい、その顔のあざは?」浅見さんが言った。

「階段で転んで打っちゃったんだよ」ひでじいはあざを擦りながら言った。

外の吹き荒れる雪は止む気配を全く見せず、どんどん降り積もっていた。

暫く3人で話した後、浅見さんは「じゃ、またな!」と僕に言って帰っていった。

家には僕とひでじいの2人になった。

急に静まり返り、僕はあたりを見渡して壁に掛かっている時計を眺めた。

壊れているのか、針は7時を刺している。

「あぁ、あの時計は9時間遅れてるのよ、だから今は4時くらいじゃないかね」ひでじいが言った。「秒針の動きをちょっと見てみな」

そう言われて僕は秒針を見た。

針はチクチクチクとぎこちなく少しずつ上昇していき、12を回って1を越えた瞬間、ストンッと一気に6まで落ちていった。

「ほら見たか今の!!?ほんと、どうしようもない時計だ、もう何年もあの状態なのよ」ひでじいが声をあげて笑った。

秒針は6から動かず、チッチッチッと小刻みに震え、暫くすると再び上昇を始めた。

9時間遅れている時計を初めて見た。

 

 ひでじいは、本当に山の中で一人で暮らしていた。

冬になれば雪が深く積もり、外に出ることは出来なくなる。

そうなれば家の中でじっとしているしかない。

奥さんは他界し、話し相手もいなければ猫や犬もいない。

そんな中に突然現れた流れ弾の様な僕に、ひでじいは言った。

「まだまだこれから旅は長いんだろう。ここで疲れを全部とって行きなさい、好きなだけいてもいいから」と。

 

 この日9時ごろ眠りにつき、3日ぶりの十分な睡眠をとることが出来、体力も回復した。

翌朝6時半ごろに起床した。ひでじいは言った。「もう起きたのかい!?まだ寝てなさい」と。

しかし昔からどうしても遅くまで寝ていられない体質で、一度起きてしまったからには再び眠ることなど出来やしない。

 ひでじいと一緒に家の周りの雪をかいた。

雪は止むことなく、嵐の様に吹雪いていた。

「酷い天気だ。この雪じゃ駄目だ、出発出来んな、今日もここで寝ていけ」ひでじいにそう言われてもう一泊させてもらうことにした。

宮古の地は標高が高いため、米作に向いてない。

そのため昔から人々は米の代わりに蕎麦を作って食べていた。

そんなこともあり、宮古の集落の家はほとんどが蕎麦屋を営んでいる。

90歳を越え、体が思うように動かなくなってしまった今ではもうやっていないのだが、ひでじいも2年前まで蕎麦屋を営んでいた。

そんなひでじいが言った。「古いそば粉があるんだが、蕎麦食わんか?」

古いそば粉?どんなそば粉なんだろうか、古いそば粉とは・・・。それに現在は引退し、今ではもう食べられないひでじいの蕎麦を僕は食べてみたくなった。

「食べます!!」僕は言った。

 

 ”苦労の蕎麦”

「よし、それじゃあ打ってやる!!久しぶりの蕎麦打ちだ!」そう言ってひでじいは居間を出て、曲がった腰で調理場へとヨタヨタと歩いて行った。僕はその後に続き、どのように蕎麦が出来るのか見ることにした。

「何処だ何処だ、どこにしまったかな・・・」ひでじいはそう呟きながら冷蔵庫の中をガサガサとあさり、そば粉が入ったビニール袋を奥の方から取り出した。

それを床に置いた大きなこね鉢にあけて、ヤカンからボジョジョジョジョ・・・・と熱湯を注ぎ入れた。そしてそば粉を慣れた手つきでこね始めた。

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こね始めてすぐに、コヒュー…コヒュー…ヒュー…と苦しそうな息遣いが聞こえてきた。

その姿を見て僕は申し訳ない気持ちになった。あまりにも息切れが苦しそうなのだ。しかしひでじいは切れる息の中、言った。「はぁ・・・はぁ、今に見てな、美味い蕎麦を作ってやるから」

その時だった。

「あっ!!!しまった!」突然ひでじいが声を上げた。「腕時計外し忘れたっ」

見ると細い左腕に、小さな腕時計が付いている。

ひでじいは白い粉にまみれた右手で、カチャカチャと腕時計を外しにかかる。

カチャカチャカチャ・・・腕時計はその細い腕にしっかりとしがみ付き、なかなか外れないようで、次第にひでじいは慌て始めた。「あ、くそうっくそう!蕎麦が冷めちゃう」

ようやく腕時計は外れて、再びこね始めるも、ああぁ・・・冷めちゃった・・・と落胆した。

それに追い打ちをかけるように、再び不運が続いた。

何の前触れもなく突然辺りが真っ暗になった。僕らのいた調理場の電気が消えたのだ。

「えっ!電気が消えた?なんだどうした!!」ひでじいがいった。

停電かな・・・僕はそう思ったのだが、居間の電気はついており、調理場の電気だけが消えていることが分かった・

「暗い、見えない!!」暗闇の中、ひでじいが叫んだ。「なんだ、なんで電気が消えた!!?」

暫くして電気は回復し、元の明るさに戻った。ひでじいは、あぁぁ蕎麦がすっかり冷めちゃったよ・・・と先ほどよりも落胆していた。

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 なんとかこねあげて、板の上に置き、うち粉を振りかけてめん棒で広げて切っていく。

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「蕎麦がボロボロだ、見てみな端を!ひび割れてるだろ、これじゃあ駄目だ、これじゃ美味い蕎麦は出来んよ。すまんなぁ」ひでじいはそう言いつつも伸ばして切っていく。

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 「あともう少しで出来上がるから、おわんと箸を用意して、居間で待っててくれ」

僕は居間で待った。

すると突然、調理場から叫び声が聞こえてきた。

「うるさい、うるさい、黙れ!!」と。

何事かと見に行くと、廊下も調理場も真っ白い湯気で充満していた。その中でなにやら甲高い警報がビービービーと鳴り、火事です火事です避難してください、と機械音が声を発している。

見ると、ひでじいが大きな鍋で蕎麦を茹でていたのだ。どうやらその湯気に火災報知器が反応してしまったようだった。

ひでじいはその鳴りやまない警報機を罵倒していた。うるさい、火事じゃない、黙れ黙れ!!と。

 「ぼそぼそで美味くねぇや。これは蕎麦っていわねぇ。すまんな」そういって出来上がった蕎麦。

しかし、息を切らしてこね、時計を外し忘れて、電気が消え、最後に火災報知器まで鳴り響いて出来た蕎麦、そんな苦労の末に出来上がった蕎麦が美味しくないはずがないだろう!!!!!ひでじいの心のこもった蕎麦は僕の体の一部になり、これから先、まだまだ元気に旅が続けられることだろう。

 

 

 

東北縦断8日目 ~飯豊山の麓町、山都へ~

 ガガガガッ・・・・と耐えがたい轟音を響かせながら、それは再びやってきた。

その音を耳にし、パチリと目が開いた。

暗い、まだ夜が深いのは確認するまでもない。

それでも恐る恐る時計を見た。

ちくしょう・・・・

心の中でそう呟いてしまった。

時間はまだ、2時を過ぎたばかりだった。また・・・・こっ酷い時間に目覚めちまったものである。

その後も昨日と同じ眠れぬまま夜明けを迎えた。

今日も1日、寝不足である!

 

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~朝飯とおばさん~ 

 すっかり明るくなったころ、寝袋から這い出てストーブに火を点けた。勢いよく噴き出る青い炎は冷えたテント内を瞬く間に温めた。暫くそのぬくもりに浸った後、水を張った飯盒を火にかけた。水は沸騰し、ふたを開けて切った野菜と餅、みりんと醤油を入れる。立ちのぼる湯気をジッと眺め、タオルで飯盒の淵を持って少しすすってみた。素晴らしい!上出来だ。(料理名はなんというのか、分からない、スープ・・・かな?)

 外は寒く、ストーブに暖まりながら食べる計画であったのだが、突然気が変わった。ストーブの火を消し、刺すような冷たい空気の外へと出た。

太陽は分厚い雲に遮られ、猛烈な勢いで雪が降っていた。それでもテントは屋根下に張ったので雪の影響は全くなかった。

直ぐ近くのベンチに腰掛け、降りしきる雪を眺めながら先ほど作ったスープ?をすする。温かい液体が、冷たい体の中にスーと流れ込んでゆく。幸せになった。

 そうやって外の雪景色を眺めながらゆったり寛いでいると、車から白いぬくぬくのコートを羽織った上品なおばさんが降りてきて、僕のいる狭い屋根の下に歩いてやってきた。

おばさんはうろうろとなんだか落ち着かない様子である。寒いのであろう。

「おはようございます」僕は一言挨拶した。

おばさんは僕の方に振り向き、そして言った。

「あらら、おはようございます。こんな朝に、あなた一体ここで何をしているの?」

「朝飯食べてるんです。今北へ向かって歩いてまして・・・・昨日はここにテント張って寝て、今、雪景色を見ながら朝飯を食べてるところなんです」

「・・・・こんな所にテント張って、ご飯を自分で作って食べて、歩いて・・・あなた、なんて逞しいのよ!」おばさんは言った。

今回の旅を、バカだと言って否定する人も沢山いた。でも、こうやって逞しいと捉える人もいる。

当たり前だが・・・世には、色んな人がいるものだ。

「私はなんであんな人と結婚してしまったんだろう・・・・。私ね、昔は東京に住んでいたの、東京で今の旦那と知り合って結婚し、こっちに移り住んできたんだけど・・・。もし人生をやり直すことができたら、逞しいあなたに出会えていたかしら・・・?」おばさんはため息をつきながらそう言った。暗くて重いため息だ。

なにか相当な悩みでも抱えているんだろう・・・・。後悔とは凄いもったいないことだ。おばさんの今は楽しく面白くないのだろうか・・・?

せっかく心地よい朝を過ごしていたところを突然暗い世界に飲み込まれそうになり、それを打ち消そうと僕は口を開いた。

今こうして未知の地をじっくり歩いて旅し、色んな人と会って話して・・・・どれだけ面白くて楽しんでいるかを意気揚々と語った。

折角何かの縁で偶然出会ったこのおばさんが、5年10年20年後にまた、あの時こうしていればよかったなどと後悔してほしくなかった。

 別れ際おばさんは言った。

「面白い子ねあなた(笑)これからもう直ぐ”蔵の湯”が開館するんだけど、あなたの事を思いながら温泉に入るわ!なんだか今日一日に楽しく過ごせる!」

それを聞いて弾けるように気分が跳ね上がった。

雪は変わらず降り続いており、冷たい風が吹き込んで、僕らを突き刺してくる。

温かいテントに入っていればそれはそれで快適に朝食を済ませれたのだろうが、これはこれで温かい朝飯であった。

 

山都町へ~

 

~まっ黒い旅人~

浅見さんが住む山都町へ行くには、昨日歩いた道を数キロ戻って峠を一つ越え、西の方へ15キロほど歩かなければならない。テントを畳んで荷を整えると、丁度トイレ休憩に来ていたおじさんが傍に居たので、喜多方市内のホームセンターまで乗せてくれないかと頼んだ。ぐしょぐしょに濡れる登山靴を止め、長靴に変更することにしたのだ。

乗せてくれたおじさんが、山都まで行くには道が複雑だというので地図を描いてくれた。また、長い峠を1つ越えなければならなく、峠の道中店も家も何もないので、峠を越える前に麓の部落の民家で一休みした方が良いと助言をしてくれた。

 雑で読みにくく・・・いや読めない地図を片手に町中を暫く歩くと、広がる白い平原を分かつ様に流れる川が現れた。その川架かる橋を渡ると町を抜け、遮るものが無くなった視界が一気に広がった。

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遠く、低い山々が壁の様にずらりと並び、その麓には雪の平原が一面どこまでも広がっていた。ぽつぽつと古民家が散らばっている。

ここまで数キロの間、狭苦しい町中を歩いていたものだから、目前に一気に現れたその広がりは、気分を一瞬にして爽快にした。こういう単純な気分の浮き沈みがまたいいものである。 この風景を思い切り堪能しよう!

  暫く歩くと道は峠に差し掛かった。坂道は結構な斜度がある。

 左右に民家が立ち並んでおり、おじさんの助言に従おうと、そのうちの一軒の戸を叩いた。

「はい。」腰の曲がったお婆さんさんが居間の流れの悪い扉をガラガラ開けて、現れた。

「すみません、突然。これから山都へ行くんですが、水を、コップ一杯水をください」

「水ね、ちょっと待っててくださいね」そう行って奥に消え、手にコップとみかんを持って戻ってきた。

「この雪の中を、歩いてるのかしら?」お婆さんさんが尋ねてきた。

「はい、山都に会いたい人がいまして・・・」

「修行ね。これで2人目よ、あなたで2人目。40年前にも一度あなたみたいに歩いてた人が来たの。その人はなにかの研究者って言ってたわね。本を書いて売るんだって、成功して売れたらずっと飯が食っていけるんだって言ってたわ。一度も、断じて風呂に入らないって人でね、まぁ汚いの!垢で顔も体も真っ黒だったんだから!」ばーさんは笑っている。「あなたを見て思い出したわ、なつかしいわ。あの人は今どうしてるかしらね。生きてるかしら。世の中広いから、あなた達の様に変わった人がいる方が面白いのよ!どんどんやりなさいね」

風呂に入らず、真っ黒の研究者とは一体どんな人物なのだろうか、ここへきて40年前のこのお婆さんとどんな会話をしたのだろうか・・・

僕が戸を叩いたことで、40年前に訪れたという真っ黒い旅人をばーさんの記憶から呼び覚まし、微小ながらも不変な日常に刺激をもたらすことが出来ただろうか。

気が付くと玄関で話をし、20分程も経過していた。

「ここへ来たときまた寄ってくださいね。私もう90を超えてて、一人で生きているの。その時はもう生きているか分からないけど」お婆さんは言った。

※40年前に訪れた真っ黒い旅人がもし、もしこれを見て思い出したなら、この峠の麓のお婆さんに会いに行ってください!

 

 2つほどカーブを曲がって坂道を上り、峠道は下り坂に変わった。グネグネとくねる道を下って下りると、平地に出た。川にかかる橋を渡って歩くと、小さな落ち着いた町に入った。飯豊山のすそ野に栄える町、山都である。

浅見さんがこの町のどこかにいる。けれど、どこにいるのか分からない。

時間は昼を過ぎていた。電話を入れるが繋がらない。きっと忙しいのだろう。

通りすがった住民に、浅見さんて方の事を訪ねると、「直ぐそこの”千”って喫茶店によくいるよ」と教えてくれた。

早速その千に行く。店は古民家を改装し、とても落ち着いた雰囲気を醸し出している。

sabou-sen.chu.jp

 

 

 しかし、千の入り口にはCloseと木札が掛けてあった。ガラスを通して中を覗くも店内は暗く、誰もいない様だ。

どうしようか・・・思い悩んで右を見てみると、すぐ隣に稲庭商店という古臭い商店があった。

中にこたつがあり、2人のおばさんがくつろいでいた。

戸を開けて、閉まっている千の事を訪ねると、待っていれば店のあるじである秋庭さんて女性が来るかもしれないから、それまでこたつの入ってあったまれ!と招かれた。

雪は湿っていて全身びしょびしょになってしまっていたので、助かった。

 「みんな男よ。あたしの子も孫もほとんどが男。男、男、男・・・・女っ気がひとっつもないのよ!!どーいうわけえだか・・・」おばさん達は自らの家族構成の謎を熱く語りだす。「で、あなた兄弟は?」

「僕も、3人兄弟で・・・」

「また男かいっ!!?どーなってんだい!!!」ゲラゲラと笑い出す。

 飯豊山の登山が盛んな頃、活気づいていたこの町で、和菓子を作って売っていたというばーちゃん達。それで登山者も減り町の廃れてきた頃に和菓子屋をやめ、今は商店を細々とやっているそうだ。

 こたつに暖まりながら、頻繁にきていたという田部井淳子さんの写真やら、自分たちが飯豊山に登った時の写真なんかを見ながら談笑をした。面白く温かいばーちゃん達であった。

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 2時間ほど経った頃、秋庭さんが千にやってきて、間もなく浅見さんもやってきた。

 2人とも都会から越してきたという方々で、独特で個性豊かであった。

ひぐらし農園のその日暮らし通信

(上記は浅見さんのHPです)

 

 暫くコーヒーを飲んで話をし、日が暮れた頃浅見さんの家に招かれた。ありがとうございます!

町から離れた山奥、深い雪に埋もれるように山奥に建つ古民家に2人の娘さんと夫婦と2匹の猫と犬とで暮らしていた。

「からしは?からし」浅見さんが言った。

「からしは嫌!わさびがいい!」娘さんが言い返す。

「いや、からしにしよう」浅見さんも言い返す。

「嫌!わさび!!」

「からし」

「わさび、わさび!」

娘さんと、一昨日連れてきた新しい子猫の名前を決める戦いを浅見さんは繰り広げていた。名前は結局何になったのだろうか、それは聞いてないので分からない。

ともかくも、この2日間、寝不足であったため、今夜は除雪車のあの轟音の脅威を臆せず、ぐっすり眠れそうである!

 

2017年1月12日

 

東北縦断の旅7日目 ~喜多方へ~

 深夜、突然テントの外から物凄い音がして、堪らず目が覚めた。

入口を開けて顔を出すと巨大な除雪車が、ガガガガッガガガッと音を響かせながら広い駐車場内を行ったり来たりしていた。

時計を見た。まだ2時半過ぎ、どえらい時間だ。とんでもない時間に目覚めてしまったものだ。

僕は再び眠りという安息の世界に舞い戻ろうと、寝袋の中に潜りこんだ。

しかし、鳴り響く音が決してそれを許さない。

ガガガガガッ、ピーピーピーピー・・・ガガッガガガ・・・

暫くすると除雪車は駐車場から去っていった。

が、それでも音は遠くの方からずっと聞こえ、耳から離れなかった。

その後、結局眠ることは出来ず、気持ちのよくない朝を迎える。

今日は1日寝不足である!

 

~喜多方へ~

 

日の出を迎え、僕はテントを畳んで荷を整え、北へ約20キロ離れた山形県との県境地・喜多方へ向かって歩き始めた。

寒波の影響で雪が昨晩からずっと降り続けており、一晩見ぬうちに町はすっかり雪景色に変わっている。

駅前には通学する大勢の学生達が、降りしきる雪の中を寒そうに歩いている。

その学生達が注ぐ好奇な目線の中を潜って駅前通りを越え、暫く歩くと磐越道の高架橋が見えてきた。

高架下に行って、減った小腹を満たそうとザックを下して食料が入っている上ポケットのチャックを開けた。

すると直ぐに、ぷ~んと強烈な匂いが鼻を突き、小さな茶色い粒が数粒、粘ついた糸を引いてポケットの開いた口から垂れてきた。

慌ててこぼれ落ちる粒を手で受け止めた。それは納豆だった。

ポケットの中で一体なにが起きてるんだ!嫌な予感がし、チャックを全部開いて中を見た。そこには破裂したパックから幾つもの納豆粒がポケットの中に飛び散っていた。

携帯やその充電器、本などに納豆がこびりついてしまっている。

(汚い写真ごめんなさい!!)

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金山町で食べた納豆もちが美味しすぎて、その味が忘れられず、昨日買った納豆であった。

あぁぁやっちまった・・・僕の頭は納豆に対する申し訳なささで一杯になった。

この納豆に出来ることは残さず食べることである。

僕は手で一粒一粒納豆を集め、口に運んだ。

味に別状はなかった。当たり前だ。納豆は納豆、美味かった!!

 

 気を取り直して町中を歩いていると行きかう車の走行音に苛まれ、僕は田舎道へと逸れた。

だだっ広い畑の中、民家が点々と立ち並んでいる。

車の交通量はグッと減り、なんだか気分が落ち着いてきた。

やはり歩くのはこういう道に限るものだ。

 暫く歩くと左足の人差し指の先端が痛みを発していることに気が付いた。

踏み込むたびにズキンッと痛みが走る。

爪がとうとう割れてしまったのだろうか・・・。

少し先に、真っ白い田畑の中、ぽつんと建つ小さな神社が見えた。

鳥居を潜って、ザックを下しておやしろに腰かけ、靴と靴下を脱いだ。

足の裏は豆がいくつも潰れ、ビラビラに皮がむけている。

痛みを発する指の先端を見てみると、爪の内が内出血で真っ黒に変色していた。

左足だけでなく右足もなっていた。

靴が合わないのか・・・でもこの靴を履いてする登山では、こんなことになったことはまずない。

コンクリートの上を重いザックを背負って何10キロも歩いているからだろう。

治しようが無い。歩いていればそのうち痛みに慣れ、気にならなくなるだろう。

これからたかだか2か月の辛抱である。

 

 また暫く歩くと、道は大通りにぶつかった。その道を北へ何処までも歩いてゆけば、喜多方へ着くはずだ。

大通りへ出ようとしたその時、急に風と雪が強くなってきた。

堪らず近くにあった民家の倉庫の影に逃げ込んだ。

すると家の中で洗濯物を干していたおばちゃんと、ガラス越しに目があった。

「この雪の中、一体何処に行くんだい!?」戸を開けておばちゃんが訪ねてきた。

「喜多方です!でも雪が強くなってきたんで、ここで雪が少しおさまるのを待たせてください」

「喜多方??まぁ、そんなとこにいないで、家に上がって休まなんかい?」

何処から来たのかも分からぬ、見ず知らずの男を家に呼び入れて、恐くないのだろうか?

言われるがままに僕は家へ上がった。

そこは平塚という部落で、おばちゃんの名前は石田さんという。

「ほれ饅頭でもどうぞ!」美味そうな饅頭がボンッと出てきた。

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「大峠を越えていくのかい?私があの峠を越えたのは何十年も前になるがな・・・」

饅頭を頬張りながら、これから大峠を越えて山形へ抜けることを伝えると、おばちゃんは大峠にまつわる自身の体験談を語りだした。

「何十年も前になるがな・・・ある時、ブドウが食べたくなったのよ、山形のブドウが。そんならばブドウ狩りに行こうとなり、家族皆1台の車に乗って山形へ向かって大峠を走ったのよ。だけど道はグネグネと曲がりくねっててねぇ、最悪よ!皆酔うわ酔うわ、ゲーゲーと酔うわ・・・山形に着いた頃には皆ブドウ狩りどころじゃなかったのよ!」ゲラゲラとおばちゃんは笑っていた。

大峠を越える際、大峠にまつわるこの話は、まっっったく役に立たないであろう。

いや役に立つかもしれない。

もし歩いていて辛くなった時、思い浮かべよう。

おばちゃんの顔を。車で酔いながら苦しんでいるおばちゃんの顔!!

きっと笑いが出て、辛さが少しでも無くなるはずだ!!

 

 磐越西線を右手に走る旧同121号線沿いは、一面だだっ広い平野地で風が唸るように吹き荒れていた。喜多方へ近づくにつれて雪は減っていった。

夕方四時半ごろ、ようやく道の駅・喜多の郷にたどり着いた。

テントを張って駅中にある温泉”蔵の湯”に入った。

温泉は広くて温かく、今日1日の疲れを十分に癒してくれた。

 まだまだこれから数日間雪は降り続く予報で、これからの予定をどうするか考えていると、ふと数日前に僕が所属している山岳会の先輩(三澤さんといって、会津に惚れ、南会津の山奥にログハウスを建てて住んでいる会津好きの男性)からFB経由で入ったメッセージを思い出した。

「喜多方経由で行かれる場合は山都に住む私の友人を訪ねるとdeepな情報が得られると思います」

その方は浅見さんていう方で、都会から移住し、ひぐらし農園という農場で農業をやっているそうだ。

早速三澤さんに電話し、浅見さんに連絡を入れてもらった。

すぐに連絡が取れ、明日の午後からならば会えるということなので、では昼過ぎを目安にそちらに向かいますと言って電話を切った。

 

 濡れた靴を履いて温泉を出る。湿った靴が嫌な感じだ。

テントに戻ってストーブを点けて本を読みながら、今日1日を振り返り、僕は眠った。

 

飯豊連峰から連なる山々の中を、長さ約30キロの峠道が走っている。121号線だ。それを抜ければ山形県米沢市に行くことができる。しかし、この大峠はものすごい量の雪が降るといって有名で、歩道は雪に埋まり車道の隅を歩くしかない。乗用車や大型トラックが猛然と行きかう中を歩くとあって、雪が舞い視界の悪い日に歩くことなど自殺行為に等しい。越えるならば晴天の日に限る。寒波が到来したとあるが、数日待っていればその寒波も消えてなくなり、必ず晴天がやってくるはずだ。それまで焦らず急がず、この飯豊連邦の麓地でゆっくり待機していよう!

東北縦断6日目後半 ~会津若松へ~

 西山温泉を背に、峠道を柳津の町へ向かって歩き始めた。
車の殆ど通らない峠道はシンと静まり返り、雪だけが弱まることなく降り続けていた。
雪を被った山が回りを囲み、民家のない道が何処までも続いている。
寒い。小さくて冷たい無数の雪が、頬っぺたに触れては溶けていった。
“下の湯”の熱い湯で暖められ火照っていた体がみるみる冷えていった。
しかし、暫く歩いていればまた暑くなってくるはずだ。
それにいつか車が走ってくることだろう。
その時、ヒッチハイクをすれば良い。
それまでのんびりと歩いていよう。
これから柳津へ戻り、12キロ程離れた坂下町まで歩こう、北上だ!


~悲しき2人の男~

暫く歩くと、先ほど通り抜けたスノーシェッドの中から大型車の唸る走行音が響いてきた。
音はどんどん大きくなってゆく。
バスかトラック、どちらかだろう・・・
そう思って振り向くと、間も無くスノーシェッドの出口からバスが飛び出してきた。僕は手を振り回した。
バスは僕の横で停まり、間もなくドアが開いた。
乗客は他に誰もいなく、運転手が嬉しそうにこちらに顔を向けていた。
「乗りな乗りな!」
 ザックを積み込んで椅子に腰かけると、雪の降る中をバスは走り出した。
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「兄ちゃんその大荷物、山だろう?一体何処の山に登るんだ?」運転手は嬉しそうに話しかけてきた。「俺も山が大好きなんだ!」
日に何度も往復するも乗る乗客は殆ど居なく、相当退屈なのだろうか。そんな所へ、大荷物を背負った得体の知れない奇妙な男が乗って来たという訳だ。
「俺はな、ここいらの山で生まれ育ったんだ。山が好きで好きでな、夏になれば米と味噌を持って俺は何日も山の中に籠るんだ!夏場、山で生きてりゃ家なんてもんはいらんよな?あぁ早くこの仕事を引退してぇな・・・さっさと引退して、生まれ育った山へ帰って山菜と岩魚を採って俺は生きていくんだ!」
鏡には嬉しそうな笑顔が写っていた。
が、その笑顔が突如曇った。
「でもな、それには問題があんだ。嫁さんが山は嫌だってついてこねぇんだよ・・・」鏡に映る顔からは笑顔が消えている。「な、悲しいだろう?」
 会話が一息つくと何だか眠くなってきた。首からぶら下げていたカメラを手に、今まで撮った写真をモニターで確認する。
すると、モニターには虹色のモザイクがザ…ザザザと躍り狂っていた。
初期不良を起こしていたカメラは、完全にイカれちまったようだ。
一刻も早く会津若松のコジマ電気へ行かなければ。9日より代替品が用意されてあるコジマ電気へ。
 ため息を漏らしてカメラの電源を落とし、窓の流れる雪景色を眺めた。降る無数の雪が後方にすっ飛んでいる。一眠りしようと目を閉じた。
運転手のおじさんは悲しいだろう。奥さんが山が嫌いで・・・
僕も悲しい。カメラが完全にいかれちまったから・・・
悲しみに暮れる2人の男を乗せたバスは峠道を下っていった。

~坂下、会津若松へ~

 しばらく走ってバスは柳津へ到着し、運賃100円を渡してバスを降りた。
早くカメラを治してパシャパシャ写真を撮りたい!ここから会津若松のコジマ電気までヒッチハイクをしてしまおうか・・・
しかしまだ時間に大分余裕があった。
迷った挙句、とりあえず12キロ程離れた坂下まで歩くことにした。
時間は14時を過ぎている。
252号線を歩き、町を離れるにつれて建物の数は徐々に減っていった。代わりに一面真っ白な田畑が現れ、暫く続いた。
雪はみぞれに近い。レインウィアに触れる雪は直ぐに溶けていった。
積もっている雪はべちゃべちゃで、猛スピードで走る車がそれをビシャビシャとはね飛ばしてくる。
履いている登山靴は一応ゴアテックスなのだが・・・長い事べチャ雪に晒されて、もう既に中が浸みてきていた。
道路は49号線にぶつかり、道幅が大きくなって交通量がグッと多くなった。
16時を過ぎ、トンネルを抜けると緩やかな坂道が真っ直ぐに伸びていた。坂下の町はもう目先にあった。
トンネルを出た直ぐの駐車場に一台の赤い車が停まっていた。
この車は・・・会津若松まで行くだろうか。微かな期待を込めて、僕は窓を叩いた。
運転手は40~50歳ほどの女性であった。
窓を叩く僕に気がつき、勢いよくドアが開いた。
「え、え!!君、前に何処かで会ったわよね???」女性は驚いていた。「会ったのは何処だったっけ・・・あれ、思い出せない・・・」
「どこかで会いましたか?僕は会った覚えはないんですけど・・・ついさっきまで西山温泉に居ました」女性の顔は全く記憶に無い。
「そうだ!そうだそうだ!西山温泉だ!西山温泉の道路を歩いているのを見かけたのよ!あれ、あの人は一体何処の山に登るのかな~って気になってたの!私も登山が好きでね、給料もボーナスも殆どを山に注ぎ込んでしまってるの!で、今から何処の山に登るのかしら?」女性は言った。
「いや、山じゃなくて、青森の龍飛崎を目指して歩いてるんです。龍飛崎からは北海道が見えるらしいですよ?それを見るんです!!!」
「はあぁ?青森???まぁ乗りな乗りな!!寒いからさっ!」
女性はある大手企業の営業職員であった。
「ほんとは車で吸ったらダメなんだけど・・・私我慢できないの!ごめんね、吸うわ!」そう言って女性はタバコをスパスパと吸い始めた。
山が好き同士、会話は弾け飛んだ。
そして丁度今から会津若松の営業所へ帰るところだったというわけで、コジマ電気まで乗せて貰えることとなった。

会津若松へ入ると雪の量は減り、今までの田舎風景は一変した。
所狭しとひしめく大型チェーン店と引っ切り無しに行きかう車・・・古民家が立ち並ぶ南会津の風景とは大違いだった。
今まで数日間、自然に囲まれた町に身を置きすっかり居心地良くなっていた為、そんな風景に何だか居心地悪く感じた。
僕は思った。早くここを去ろう、と。

コジマ電気で壊れたカメラを新しいものと交換すると、外はもうすっかり暗くなっていた。
これから今日の野宿場を探さなければならない。
僕はとりあえず駅に向かって歩いていった。
何処の町でもそうなのだが、駅周辺が発展し、駅から離れるにつれて段々と落ち着いてくるものなのだが、会津若松はそれとは違っていた。
大通りを越え、駅に近づくにつれて大型チェーン店等の大きな建物は数を減らし、民家が増えていった。
そんな様子に疑問を抱き、すれ違ったおじさんに聞いた。なんでこんな町の作りなのだと。
雪がぱらつき寒いにも関わらず、おじさんは足を止めて教えてくれた。
ここは城下町であり、汽車の線路を開通させる際に、城の近く・町中を貫くことを避けて、田畑の中を走らせたのだという。
だから昔は駅周辺は田が広がっていたのだとか。
 雪がチラチラと軽くちらつき、道路にうっすらと積もっている。
民家の窓から漏れる光が暖かい。
駅へと続く道沿いにガソリンスタンドがあり、ガソリンの補給をしようと立ち寄った。
高校生らしきあどけない顔の2人の店員と、年を大分食った背の小さな渋いおじさんが歩み寄ってきた。
若者の顔はニヤニヤしている。得体の知れぬ僕に興味津々らしい。
「これにガソリンを入れてください」
ザックから出てきた、1リットルの燃料ボトルに戸惑い、おじさんは手に持ってジロジロと見つめる。
「ほれ、やってみな、0.7リットル位だろう」おじさんは少年にボトルを手渡した。
若者は慣れない手つきでガソリンを入れてゆく。
あっという間にドバドバとボトルの口からガソリンが溢れ出してきてしまった。
「あ、あ、あっ」溢れたガソリンを見て、若者は慌てふためいた。
「あああぁ!!だから0.7位だって!もう1リットル入っているがな!!」おじさんは慌ててボロ雑巾を靴で踏み、こぼれたガソリンを拭く。若者はにやけた顔で僕に話しかけてきた。
「これ何に使うんです?これからどこへ行くんですか?」
好奇心旺盛な若者から暫く質問の嵐が続いた。
若者が言うには駅前に地下道があり、そこならばテントを張れるらしい。
再び僕は駅に向かって歩いていった。

会津若松の駅は大きく、コンビニや飲食店が連結していた。
学生やサラリーマンが寒そうに身を強張らせながら行来している。
改札のすぐ横の窓口には、女性駅員がいた。眼鏡をかけて見るからに堅そうな顔をしている。こりゃだめかもしれない・・・そんな予感がしたが僕は聞いてみた。
「あの・・・駅長いますか?」
「駅長・・・は、えっと今日は居ません。なんの御用ですか?」
駅員の表情はピクリとも動かない。嫌な予感がした。僕はその堅い壁を崩そうと、出来る限りの笑顔で尋ねた。
「お願いがあるんです!」
「はい?」怪訝そうに聞いてくる。
少し間を置いて僕はお願いした。「今夜、駅の地下室でテント張って寝ていいですか?」
だが予感した通り、結果は無残なものであった。
そういうことはお断りしてましてと軽くあしらわれてしまった。
「駅の建物の裏側でもダメですか・・・?」
「はい、そういうことはお断りしてまして」再びあしらわれる。
断る表情がまた冷たく、そのあしらわれ方で僕は思った。
あぁこの人にはもう何を言っても無駄だと。
だめだこりゃ・・・僕は降りしきる雪の中を去って行った。
まるでフラれた様だった。
それはそうである。この真冬にテントを張っていいよと許可し、もし僕が凍死でもしてしまったならば、面倒なことになるのは目に見えている。駅員の判断が至極真っ当で、僕の方がおかしいのだ。
降りしきる雪がより一層冷たく感じられた。

外は真っ暗で、駅から洩れる光に降る雪が照らされている。
駅を出て駅前通りをフラリフラリさ迷っていると、小さな商店街の中、一際目立つ宮殿の様な大きな建物が目についた。
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そこは駐車場も広かった。大型車が何台も停められる広さで、車は殆ど無い。
ここならば広いし、きっと張らせて貰えるだろう!小さな希望の火が灯った。
ガラス戸を通して中を覗くと、広い店内は整然としていた。襖で仕切られた個室がいくつか並び、カウンター前のガラス内に寿司が幾つか並べられている。どうやら寿司屋らしく、高級感が溢れ出ていた。
和服を着た若い女性店員が1人、腕をまくって雑巾で掃除をしていた。
店の扉を少し開いて、すみませんと一声かけた。
お姉さんはばっと振り向いて、ちょこちょこした足取りでこちらに近寄ってきた。
綺麗なお姉さんだった。雪で全身が濡れ、デカいザックを背負って小汚い僕とはまるで対照的だった。
顔には笑みが滲み出ている。これまた先ほどの堅苦しい駅員とは対照的だった。
「青森へ向かって今歩いてるんですけど、今晩駐車場の隅にテント張ってもいいですかね?」
それを聞いてお姉さんは吹いた。
「ちょっと待っててくださいね、社長に聞いてきます!」
 暫くすると寿司職人の社長が出てきた。社長の隣に先ほどのお姉さんが立ち、にこにこしている。
「なんなんだお前は!!?テントを張るだって?駐車場の好きな所に張ったらいいぞ!!」
それを聞いて僕は飛び上がった。
「ありがとうございます!床掃除でもトイレ掃除でもなんでもしますんで!!」
 テントを張ってストーブに火を点けた。今日の夕飯はスープだ。飯盒で水を沸かし、白菜とキノコを切っていれる。
すると外から社長の声がかかった。
「ちょっと店の中に入らねぇか?」
 火を消し言われた通り店に入って、テーブルに腰掛けた。客は他に誰も居ない。
「夕飯は食ったんか?」社長が聞いてきた。
「いえ、今作ってたとこなんです。白菜とキノコでスープでも飲もうかと」
「そうか・・・まぁちょっとまってな」そう言って暫くすると、先ほどのお姉さんがどんぶりうどんを持ってきて、目の前に置いた。湯気がもうもうとたち昇り、美味そうな匂いが鼻につく。
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「まぁ食いな。体を温めろ」キッチンで片づけをしながら社長が言う。「何処からきて、何処へ行くんだ?」
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寿司職人と旅人・・・異色である2人の男の語り合いが・・・・幕を開けた。

店の名前は”会津迎賓館 寿し万”
www.aidugeihinkan.co.jp
7人兄弟の端の方に生まれ、親父に一丁前になるまで帰って来るなと追い出されてから60年間、寿司を握り続けている鈴木社長。
「親父の元へ帰る前に、親父は死んじまったんだ」社長は少し下を向いてぼそりとそう言った。

気がつけば店は閉店間際だった。
「兄ちゃん馬鹿なだなぁ!いやぁ面白い!久々に面白い話が聞けた!!兄ちゃん今夜は美味いもんが食えるぞ!」
そう言って、残った料理に、明日の朝ご飯に食ってくれとニシンの笹寿しを握って出してくれた。
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 外へ出ると雪が強さを増していた。
「そんなテントじゃ寒いだろ!ここにある段ボール好きなだけ使え!」
そう言って何人かの従業員が倉庫に束になった段ボールを指さした。
「こりゃぁ兄ちゃん、いいホームレスの練習になるな!」それを見て社長が白い吐息を吐き、笑いながら言った。
僕の頭のなかにぼんやりとホームレスになった姿が浮かび上がってきた。
「またここに来たら顔を出してくれよ!兄ちゃんの様な馬鹿は応援したくなるもんだ!」
「ありがとうございます!そんときはまたテントを張りに来ますので、張らせてください!!!」
降りしきる雪の中、駅前に頭1つ抜き出て立つ大きな寿司屋、そこはとても暖かい寿司屋であった。

2017年1月11日の午後

東北縦断6日目 ~西山温泉へ~

目覚めて入り口のチャックを下ろし、テントから顔を出した。
夜はとうに明け、唸り狂っていた風は収まっている。
雨は雪に変わり、ビチョビチョだった世界を薄く白い雪景色に変えている。
吐く息が白い煙となってユラリと漂っては何処かへ消えていった。
「うぅさみぃ・・・」
再びチャックを上げて入り口を閉め、水の入った飯盒に火をかける。
朝飯の野菜スープが冷えきった身体を温めた。
気分も温まってきた!
今日は西山温泉へ行き、会津若松へ向けて進もう!

~西山温泉へ~
老沢温泉
医師からあと少しの命だと告げられて見放され・・・そんな人が最後、藁にもすがる思いで米と味噌を持って何週間も湯治をやりにくる温泉。
昨日のスーパーで“湯治場・西山温泉”にまつわるこの話を聞いた瞬間、昔、草津温泉でも同じような話を聞いたことを思い出した。
それと同時に、幼い頃親に毎年の様に連れられていた“草津温泉”の懐かしい風景が、脳裏にガーンと浮かびあがった。
その懐かしさは、西山温泉へ行こうか行かまいかフラフラと迷っていた迷想の思いをすっきりとすっ飛ばしてくれた。
ただ西山温泉へ行くには昨日やっとの思いで歩いた道を数キロ戻って、10キロ程山道を行かねばならはない。
ここは・・・ヒッチハイクで行こう!
降りしきる雪の中、僕は道路に出て手を上げた。
数台に見送られた後、ワゴン車が止まり、「山道の前までなら」と作業着を着たお兄さんに乗せてもらう。
車は、痛む足に耐えながら何十分と必死に歩いた道をものの数分で走ってしまった。
流れ去る懐かしき風景を、ぼんやりと窓越しに眺める。
トンネルを抜けるとすぐに山道へと続く分岐点が現れた。
ちょうど赤信号で停車し、そのタイミングでお礼を言って車から降りた。
再び手を上げると、ワゴン車の真後ろを走っていた軽トラが止まった。
西山温泉の近くの部落・久保田に住んでいるというおじちゃんだった。
唸りながら重いザックを荷台に乗せ、温泉へ向かって山道を行く。
山も木もすっかり白く覆われ、奥へ奥へと行くにつれて雪は深くなっていった。
所々にひっそりとした集落がある。かつて桐だんすが何百万で売れていた頃はここ会津林業が盛んで、人々が活気づいていたという。
暫く走ると四方を山々に囲まれ、細々と流れる滝谷川沿いに小さな集落が現れた。西山温泉だ。
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「お勧めは老沢温泉だ。そこはよ、古くて昔ながらの長~い階段を降りていくんだ。すぐ近くに神社があるんだ」おじちゃんが言った。「またどっかで出会ったら乗せてやる!良い旅を、気を付けてな!」
すぐ近くに神社?意味が分からない。おじちゃんは僕に疑問を植え付けさせ、ガタガタと車をきしませながら、雪の降り積もる峠道へと消えていってしまった。
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旅館の近くに神社があるもんだと思っていたが、それらしきものは全く見当たらない。
僕は疑問を抱えたまま旅館の戸をくぐった。
こたつでくつろいでいたおばあちゃんが、重い腰を上げるように立上がり、風呂を案内してくれた。
入り口から左手に進み、風呂へと続く扉を開けると下へと続くトンネルのような長い階段が現れた。
転がり落ちぬよう注意して降りる。
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降りるとすぐに浴室があった。
雪で濡れたジャケットを外してパンツを脱ぎ、ガラガラと戸を開けると、むわっと浴室満たす湯気に包まれた。
湯気で酷く霞む視界を目を凝らしてみると、長方形の浴槽が3つ並んでいる。
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片方の壁は大きなガラス窓になっており、そこから外の景色が見え、すぐ側で2人の作業着を来た男が雪の中を何やら調査をしている。
気配に気がついたのか、男達がこちらに目を向けた。
素っ裸で今まさに湯に浸かろうとしている僕を見てすぐに向き直る。
男で期待外れだったようだ。
湯は熱い。それでも歯を食いしばって身を縮こまらせ、そー・・・っと入れば耐えられる熱さだ。
顔を歪め「ッー・・・」と息を吸いながら浸かってゆく。
ようやく胸まで浸かって落ち着き、辺りを見渡す。驚いた。
入る時は湯気で全く気がつかなかったのだが、壁に神社があったのだ。
おじちゃんが言っていた事がようやく理解できた。
なんの神様か分からないが、湯の中で手を合わせて目をつぶり、無事旅が続けられるよう祈る。
温泉をあがると身体は火照り気分もすっかり緩んでいた。心も体も十分満たされている。
けれどもせっかくここまで来たのだから他の温泉も入らないと!
こたつでくつろぐばあちゃんに、この数多くある温泉でお薦めなのは何処ですか?と聞くと、坂を少し下った所にある“中の湯”と“滝の湯”も良いよと教えてもらった。
早速それらを目指して老沢温泉を発った。

~中の湯へ~
雪は相変わらず降り続いている。
道路を覆う雪が少しだけ厚みを増している。
5分程歩くと川沿いに数件民家が寄り添うように建っていた。
その内の1つに「中の湯」と書かれた看板が目に入り、戸をくぐる。中は広い。
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バタバタと忙しなく走り回る、まだ若い女将に迎えられた。
「朝、温度調節を間違えてしまってね、物凄く熱いと思うから、かき混ぜて入ってくださいね!」そう言って忙しそうに家の奥へと走り去って行ってしまった。
ポツンと取り残された僕は、ザックを下ろし、靴を脱ごうと腰をおろした。
すると、ガチャリと音をたてて事務所の戸が開いた。
「あらあら、いらっしゃい。こんな雪の中をそんな荷物で何処から来られたんです?」おばあちゃんが現れた。先程の忙しい女将とは言葉も動作も正反対で、ゆったりとしている。こちらまで落ち着いてきた。
先程の温泉で身体は火照り続け、まだ湯に浸かる気分でなかった僕は、通されたソファでストーブにあたりながら暫くの間、おばあちゃんの昔話に耳を傾けた。
戊辰戦争敗戦の影響で青森から会津若松へと引っ越し、そのあとここ西山温泉へと来たという家族の話をゆっくりとした口調で語ってゆく。
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ばあちゃんは語りくたびれたのだろう、20分程経つとこと切れたように口を閉ざした。
静まり返った室内に、ストーブの炎だけがモウモウと音をたてている。
火照っていた僕の身体もちょうど冷え、熱い湯を欲していた。
僕は告げた。
「・・・それじゃ、温泉に入ってきますね・・・」
「そうですか、娘が朝湯の温度調節を間違えて熱くなったって言っていたから冷まして入ってくださいね」
戸を開けると、こじんまりした小さな浴槽があり、湯気が白く立ち込めている。
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熱い熱いと何度も告げられていたため、恐る恐る手を触れてみた。
熱くない。全然熱くない。
拍子抜けし、桶で湯をすくい、ザバリと頭からかぶってから一気に胸まで浸かった。
やはり湯は熱くない。むしろぬるい。
温度調節をどう間違えたのだろうと疑問が渦巻くが、考えることを止めはぁとひと息つく。
身体は火照ることなく、何時間でも入っていられそうだ。
15分程経ち、そろそろ出ようかと湯から半身を出す。するとすかさず冷気が無防備な肌に襲いかかり、僕は堪らず生ぬるい湯の中に舞い戻る。もう少し暖まろう・・・と。
だがぬるい湯では一向に温まらない。
寒さを覚悟して湯から半身を出すが、あまりの寒さに覚悟は簡単に折られ、再び湯に戻される。
それを何度も試みるがどうしても湯から出ることが出来ない。
気が付けば30分近くも入っていた。
このままではずっと出られない・・・襲いくる冷気に負けぬ決意を固め、僕は腹をくくった。
浴室を出るとばあちゃんが待っていた。
「熱かったでしょう?」
「ははは」僕はつい笑ってしまった。「凄いぬるかったですよ!出ようにも出られませんでした!」
「あら本当ですか?!それじゃ今、お客さんが居ないから、女湯にでも入ったらどお?女湯なら温かいですよ!」
僕は丁重に断り、次なる湯を目指すことにした。

~下の湯へ~
滝の湯は、女将が最近亡くなったために営業しておらず、近くの下の湯に入ることにした。
雪を被ったつり橋を渡ると、孤立した場所にポツンと一軒だけ民家が建っていた。
戸を開けると同時に、テレビの爆音がガガーンと耳を貫いた。
おばあちゃんがこたつに入ってTVを見てくつろいでいた。耳が遠いのだろう・・・
雪と共に入って来たけったいな僕に気がつき何か言っている。が、TVがうるさくて何も聞こえない。
僕は靴を脱ぎ、おばあちゃんに歩み寄った。
荒れ狂うTVの騒音に紛れて「ここは泊まれないよ」と辛うじて聞こえた言葉。
僕は泊まりに来たのではなく、温泉に入りに来たのだと叫び、入湯料400円を手渡して騒音から逃げるように湯に向かった。
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浴槽は2つあり、そろりと手を入れてみる。
とたんに手を引っ込めた。
なんて熱さだ。まるで熱湯!
老沢温泉など足元にも及ばぬほどの熱さであった。
それでも何とか入ろうと、右足を入れてみる。
「アッチィッッッ」思わず叫んで、直ぐに足を引っ込めてしまった。
湯が熱すぎるのだ。
老沢温泉、中の湯とは比べ物にならぬほどの温度である。
それでもどうにか入らなければと足を入れるが、直ぐに引っ込めてしまう。
「アッチアッチィッッッ」
静かな浴室に響き渡る苦痛の叫び声。広間では同じくTVの騒音が響き渡っていることだろう。もの静かな集落に、頭1つ抜きん出て騒がしい温泉である。
足を入れては引っ込め、入れては引っ込め、ようやく身体を浸けたと思ったら5分も経たぬうちに湯から抜け出した。
鏡に映る身体からはモウモウと湯気が立ち上ぼり、茹で蛸のように真っ赤ッか。
広間に戻ると、おばあちゃんはTVの音量を下げて話しかけてきた。
「そんな荷物で何処へ向かうんだ?」
「青森目指して歩いてるんです」
「青森???こりゃたまげた・・・ちょっと待ってな」
そう言って部屋の奥からミカンを3つ持ってきて、手渡してくれた。
「夏は私は息子と農作業で外へ出て家を空けちゃうから、ここは冬だけしかやってないの。これ、食べながら歩きなさい!」
一軒一軒がとても濃い温泉であった。
5~6軒は入ってみようかと意気込んでいた僕の心は十分に満たされ、まだまだ多くの未知なる温泉を残し、僕は西山温泉を去ることにした。

2017年1月11日午前

東北縦断5日目 ~面白いスーパーのある・柳津へ~

6時20分、パチリと目が覚めた。
腹が一杯だ。物質的な満腹感ではない。
気持ちの面で腹が満たされているのだ。
昨日潤さんと会ってから寝るまでの約12時間、尽きることの無い話題を永遠と語り通した。
今まで知らなかったこと、ものの考え方、捉え方・・・昨日の会話は、僕が今まで頑なに保っていた常識をぶち破り、世界を大きくしてくれた。
障子を開けて窓の外を見る。昨日ずっと降っていた雨は止み、薄暗い空は晴れ渡っている。
まだまだ金山を見たいが・・・今日はここから30キロほど離れた町・柳津を目指し、名残惜しき金山を去ろう。
今日も1日、良い日になりそうだ。
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(黄色線がルート)
~忍耐強い柿の木~
5日前の出発当初からずっと思っていたが・・・長期長距離を歩くのにも拘らず、荷物が重すぎる。
使うと思って持ってきた物の殆どは、実際には出番が来ず・・・。
どんどんぜい肉を削ぎ落としていかなければ。
通りがかりに見つけた町中の郵便局で、予備にと持ってきた300mlの燃料ボトル、珈琲をお洒落に飲もうという愚かな考えで持ってきたヤカン、読み終わった重たい文庫本「森の旅人」、マッチ4箱を段ボールに詰めて、紙切れに「元気です、これらを机の上に置いといてくれ」と文字を殴り書き、家に送る。
幾分軽くなった様な気がするが、まだまだ重い。

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山あいを悠々と流れる只見川に沿って、吹き抜ける涼しい風に、カランコロンと乾いた杖のつく音を響かせながら歩いて行く。
進むにつれて民家と田畑はその数を減らしていった。山が身近に迫り、道は山道に差し掛かる。

ピー・・・と鳥の鳴き声が空から聞こえ、見上げると、2羽のカラスが鳶を追い回していた。
珍しい光景に気を奪われ、足を止めてじっと3匹を見守る。3匹は何回か円を描くように飛び回り、山の影へと消えていった。

暫く行くと道路のすぐ脇の線路に柿の木が1本、雪の中に寂しげに生えていた。
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濃オレンジ色の実は熟しきり、線香花火のプルプルした火玉の様に今にも落ちてしまいそうだ。
誰の柿だろうか・・・回りに民家はない。
膝下まである雪を掻き分けながら柿の木に歩み寄る。
下を見ると幾つもの動物の足跡が、柿の木に向かって伸びていた。僕と同じような奴等がいるようだ。
一番低い柿に向かって手を伸ばしたが、いま少し手が届かず、杖で柿を突っついた。柿はプランプランと揺れる。が、しぶとく枝にしがみついている。
風が吹けば落ちてしまいそうなその姿は見かけ倒しか・・・
今度は枝をバシッと強く叩いた。柿はユッサと揺れるが落ちてこない。
バシッバシッともう少し強く叩くと、ボタボタッと音ともに2つ落ちた。
杖を投げ捨てて、落ちた柿を探す。
1つは草むらの中に落ちてしまったのだろう、見つからず、もう1つは丁度柔らかい雪にめり込んでいる。
実はブニブニで、皮はペロリと簡単に剥けた。しゃぶりつく。
じゅくじゅくに熟し、まさに濃厚な柿ジュースだ。
食べるというより、飲むといった方が良いかもしれない。
ゴマ粒程の大きさであった何ヵ月も前から、雨風雪にずっと耐え続け、今日まで生き残った強き柿達。
その忍耐力は僕の活力を大いに奮い立たせ、熟成された甘味は空いた空腹間を満たしてくれた。
これからもっと厳しくなる環境で、この柿の木は、多くの生き物にその力を分け与えることだろう。


~つるの湯~
三島町に入り、峠道の脇にほんの小さな集落が現れた。「つるの湯」と書かれた看板が目に入る。
いい湯だから是非入った方が良いと今まで出会った皆が口を揃えて言っていた温泉である。
時間は11時、体はまだ疲れていなく、むしろ何処までも歩いて行けそうな程筋肉が高ぶっている。
ここでひと息ついて、折角やる気がでてきて引き締まった筋肉を緩ませるのは勿体無いな・・・
僕は看板を見なかったことにして、通りすぎた。
少し歩いて行く立ち止まり、名残惜しげに振り返る。
折角だからやっぱり入って行こうか・・・誘惑に揺らぐ素直な気持ち。いや、進めるときに進もう!誘惑を打ち破る鬼のような気持ち。
接戦が繰り広げられ、数分後、僕はやはり見なかったことにして、つるの湯から遠ざかって行った。
次来たときは必ず入ろう!それまで思いきり美化してやろう!!
温泉は峠道に消えていった。
潤さんから聞いたつるの湯にまつわる話に、こんなものがある。
目の殆ど見えなかった知り合いのじいさんが、何年もつるの湯に通い、飲んで体に良いはずなんだから目にも良いはずだと目を洗い続けたそうだ。
すると老眼は治り、視力が回復したというのだ。
一体どんな温泉なのだろうか・・・想像すると今でも身と心が引き寄せられる。

~明太子~
つるの湯を過ぎて暫く行くと、長そうなトンネルが現れた。その左脇に、まだトンネルが掘られる前まで使っていたのであろう旧道があった。
迷わず旧道に進んで行く。
脇から覆い被さる木々に、秋の紅葉を思わせる色とりどりの枯れ葉が道路に降り積もり、枯れ枝がそこいらに横たわっている。ガードレールは茶色く苔むし、見事なまでの荒れ果て様だ。
人も車も殆ど通らないのだろう。
山の内部からトンネルを走る車のか細い走行音が、ときたま低く響いてくる。
体を無理やり貫かれ、汚い排ガスを直接体内に撒き散らされているこの山は今一体どんな気分なのだろうか・・・。怒ってるし悲しんでるに違いないよな・・・そんな思いがふと浮かび、今後トンネルを通る際には、山に謝りながら通ろうと思う。
今までの道路の喧騒から離れて、ピーチクパーチク鳴く鳥の声が鮮明に聞こえるようになった。
ザックを広げ、2日前にこうたろうさんの奥さんに握って貰ったおにぎりにを1つ取り出す。
サランラップをペロりとめくり、二口かぶりつくと、ブリュッと辛子明太子が飛び出てきた!
疲れた体を、ピリ辛いちっちゃな卵の一粒一粒が癒してゆく。
サランラップを閉じ、食べかけのおにぎりをポケットに突っ込んで、再び歩き出す。
30分もしないうちに腹が減り、ポケットから先程のおにぎりを取り出してかぶりつく。
再び明太子が疲れを癒す。
ご飯は3回目でなくなり、ラップに明太子がいくつかくっついている。
柳津まであとどれ程の距離なのか・・・限られた食料、ちっちゃな1粒の卵も無駄にはできない。くっついた明太子を1つ残さずすいとった。
常に食い物で満たされていた今までの生活ではこんな事はやらなかった。
それに気がついた今、これからもこの気持ちを忘れてはならない。

~スーパー~
晴れていた空はいつしか重い雲で覆われて、ポツリ・・・ポツリと小雨が降り始めた頃、奥会津の玄関口・柳津にたどり着いた。4時を過ぎている。
日本三虚空藏の1つの寺があり、その建立の際の材木運搬に難行していたところ、何処からともなく現れた赤い牛がそれを手伝ったことから、首をゆらゆらと振るう赤べこが生まれたとされている。
僕の前にも何処からともなく赤い牛が現れて、乗っけてってもらえれば、どれだけ助かることか!
道の駅・会津柳津に立ち寄り、今晩屋根の下にテントを張らせてくださいとお願いする。
快く許可してくれたおばちゃんは、売店にあった試食用のキムチを閉店したら捨てることになるからと全てくれ、寒いからと甘酒を水筒に入れてくれた。ここら辺に古臭く風情のある温泉はあるかと聞くと、見なかったことにして通りすぎた「つるの湯」、たどり着くほんの少し前に雨が降りそうで見向きもしなかった「西山温泉」、この2つだと言う。
西山温泉か・・・西山温泉の事を頭に浮かべながら近くの「かねか」というスーパーで晩飯の鍋の具材を買いに行く。
レジの若く小柄な女の子に、「西山温泉ってどんなところですか?」と聞くと、「え、え・・・西山温泉ですか、え・・・そうですね・・・」と慌てふためき始めた。その慌てぶりは凄まじい物で、チョコチョコチョコチョコ身を動かし、ゴニョゴニョ何かを言っていたが何を言ってるのか聞き取れず。その姿は可愛かった。
僕らの会話は回りのレジの女性に、他の並んでいた客にも波及し、レジの回りに5人程の小さな人だかりができた。皆やるべき仕事をほっぽりだし、あーだこーだと西山温泉の事に議論を交わし始める。
みたことのないその光景がたまらなく新鮮だ。
話題は西山温泉からそれて、いつしか僕の旅へと移っていった。
どっから来たのか、熱でもあるのか、何で歩いてるのか、何処で泊まるのか・・・
女の子に去り際に貰ったレシートは、金額と数字がめちゃくちゃだった。
動揺して手元が狂った様である。
柳津とは面白い町である。
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東北縦断4日目 仙人に見えた老沼さん

扉の向こうからガタゴトと聞こえる音で目が覚めた。夜明け前、部屋は暗く、布団から出ている顔が冷たい。
極寒の地である布団の外へ出なければ。
と思うも出るのが非常に辛い。
出なければ、でも1歩が中々出ず・・・それでも出なければ・・・躊躇ってはダメだ、意を決して勢いよく布団をはいだ。こういう時は勢いが何よりも大事なのである。
待ってました言わんばかりに、一瞬にして冷気が全身に襲いかかる。
身を震わせ、寝起きで朦朧とした意識の中、洗面所で歯を磨き、ダウンを着て外へ出る。
日の出前で、まだ外は青暗い。
昨晩降っていた雨は雪に変わり、道路も木々も屋根も車も白く覆われている。
こうたろうさんは犬を連れて、先を黙々と歩き始めていた。
寒さをどう感じているのだろうか、縛られていた縄から解き放たれた犬は狂った様にきゃんこら鳴きはしゃぎ、足跡のついていない無傷な真白の雪面に、細く小さな足跡を付けている。散歩が相当好きなのだろう。
僕は小走りでこうたろうさんの後を追いかけた。
昨晩寝る前に、犬の散歩についてくれば鹿に狸、狐にウサギの足跡が沢山見れるよと言われたのだ。
これは狸だね、これは狐、足跡を発見する度に僕に丁寧に教えてくれる。それを眺めてただただへぇぇと感心する。
暫くするとやってはいけない過ちに気がついた。
降る雪が溶けて、ダウンが濡れているのだ。
雪の世界を徒歩で旅するにあたり、絶対にダウンを濡らしてはいけない。
オーバージャケットを着ないで出てきてしまった初歩的なミスだった。
ダウンに降り積もる雪を忙しなく手で払い除ける。払い除けるもひっきりなしに降り積もる雪。
これは兎だね、こうたろうさんはそんな僕に丁寧に教えてくれる。
しかしこれ以上濡らすまいと、払い除けるのに夢中になってしまった僕はもう足跡処ではなくなっていた。
これは・・・大きい足跡だ。鹿かな
へぇそうなんですか!
中身の無い相づちを出すも、気は別の所にあるのであった・・・
こうたろうさんの親切に答えられず、申し訳ない気持ちで散歩を終えてしまった。
あまり良くない1日の始まりである。
今日はこの金山町に移住してきた、世界・日本中を旅したという老沼夫婦にあうのだ!


~忘れ物~
こうたろうさん家族と別れた僕は、是非入った方がいいと熱く勧められた温泉に向かった。
国道400号線沿い、知っている人しか決して分からぬであろう抜け道のような、雪の被った小さな階段を下ってゆく。直ぐに川沿いに小さな小屋か現れた。木の板に書かれた文字・「亀ノ湯」。
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金山町の秘湯、小さな共同浴場だ。
後ろからズボリッ・・・ズボリッと音がした。振り返ると腰の曲がったおじいさんがズボズボと雪をかき分けて歩いてきた。
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「おはようございます!」
挨拶をするも、返事は無い。
そのかわり指で自分の耳をくるくると指差した。
どうやら耳が聴こえないらしい。
扉を潜ると直ぐ左右にしきりの無い男女更衣室があり、水着・タオルを着用しての入浴はご遠慮下さいとの注意書が目に留まる。
目の前にモウモウと白い湯気をあげて、暖かそうな湯が横たわっていた。
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じいさんと僕は黙々と服を脱ぎ、冷えきった湯にチャポリと身を浸した。体は一瞬で暖まり、湯気と共にほのかな木の香りが鼻を突き抜けた。
横目でおじいさんを見る。目をつぶり、とても幸せそうだ。
暫くするとじいさんはゆっくりと湯を上がり、あぐらをかいて風呂桶を股に挟み、髭を剃り始めた。シュリッ・・・シュリッ・・・静かな剃る音が鳴り響く。
その音に呼応し、僕は手で顎を撫でた。
髭が少しのびている。
湯を上がり体を拭いて更衣室に行き、剃刀の入った洗面用具を出そうとザックに手を突っ込んだ。
無い。ザックのポケットを全て開け、荷物を出してゆく。
無い。洗面用具が無い。狭い更衣室はあっという間に僕の荷物で散らかった。
そうこうしてる間に体が冷えてきた。
たまらずドボンと湯に戻る。
おじいさんは静かに髪を洗っていた。
僕は暫く体を暖めてから再びザバリと湯を上がり、更衣室に向かった。
ガッサガッサガッサガッサ・・・ザックの荷物を全て取りだし、更衣室に荷物の山を積み上げたが結局見つからず、こうたろうさん家に忘れたと結論に至った。
取りに戻るしかないか・・・だが、その事に気を取られちゃいけない。今はせっかくのこの湯を堪能しなければならない。
じいさんは事を済ませて再び湯に浸かって、ガサゴソと忙しない僕を静かな眼差しで眺めていた。
僕はポチャリと湯に戻り、再び浴室は静けさを取り戻した。
5分ほどたっただろうか、扉がガラガラと開き、「あ、良かったまだいた!これこれ、忘れたでしょ!」と、こうたろうさんの父が洗面用具を片手に現れた。
僕は申し訳なささと不甲斐なささで一杯になった。
これから長い旅路、この忘れ癖は一体どれ程の人に迷惑をかけるのだろう。
今日限りでこの悪い癖は治さなければならない。
おじいさんは僕らのやり取りをじっと静かに見つめていた。

~金山町の移住した仙人のような人~
老沼さんて言うんだけど、日本と世界中をあっちこっち旅してね、やはり君みたいな人で、金を稼ぐばかりの毎日に疑問をもって、最近この町に移住してきたんだ。話が合うと思うよ!どう?会ってみたい?
別れる前にこうたろうさんは僕に尋ねた。
僕はそれに、はいと迷わず速答した。

町から少し離れた山を暫く上ると、5軒の民家が立ち並ぶ集落に行き着いた。
去年の6月、築100年にもなる空家を65万円で購入し、自分達で修繕しながら半自給自足で生活している老沼潤・飛野さん夫婦。
家ノ裏にはチャパチャパと音をたてて、湧き水が止めどなく涌き出、赤々と静かに揺らめく薪ストーブの炎が部屋を暖めている。
「今の時代、金を稼いでなるべく使わないように節約している人が多いと思うけど、俺達はいかに金を稼がずに生きるかを大事にしてるんだ。すると自ずと生活が豊かになっていくよ!」
薪ストーブの燃え盛る炎の中に、貰ってきたという廃材を入れながら、落ち着いた雰囲気で老沼さんは話す。
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日本昔話に出てくるような、古い空気を感じ取った。
ここならばあるかもしれない!
そう思った僕は訪ねた。
「マメ柿の干柿ってありますか?」
「うんあるよ!」
心が飛び上がった。
昭和村からずっと楽しみにし、一時はもう作ってる人はいないと告げられて諦めかけた干柿が目の前に置かれた。
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マメ柿の渋味は非常に強く、昔は紙に擦り付けてその強い渋を紙に張り付けていたという。すると水を通さぬほど紙が丈夫になり、それを畳や御座なんかに張り付けて加工していたという。
それほど渋味が強いので、干したときに甘味が強くなるのだ。
また風が強い地に適した干柿作りは本来、風の少ない金山町には向いてなく、それで通常の大きな柿と比べて乾燥しやすい小さなマメ柿が金山町には向いていたという。
僕はムシリッとかぶりついた。ねり飴のようにネチっとし、濃い甘味が口一杯に広がった。
昭和村で抱いた小さな願いが叶い、これで金山町を心置きなく去れることであろう!

~幸せなショウジョウ蝿~
日本酒をチビりと飲んでいると、一匹の小さなショウジョウバエが細かに羽を羽ばたかせ、どこからともなく飛んできて空いた小皿の縁に止まった。
凍てつくこの極寒の1月に、こいつはなぜ生まれてきたのだろうか。
行末を見ようと、僕はじっと見つめる。
ハエは縁をちょっと歩き、料理の汁がより多く残っている皿の中心部へ向けて降りていった。
皿の表面は料理の油でぬめっている。
あろうことか、次の瞬間そいつは足を滑らせてひっくり返った。仰向けになったハエは起き上がろうと必死に足をばたつかせている。
何とか元の体勢に戻ることができたが油が羽にくっついたのか、飛ぶことができずよたよたと皿の縁に戻り、ポトリッとテーブルに落ちてしまった。
その後の歩いて行き、皿と皿の暗い谷間へ消えていってしまった。
姿が見えなくなったことで気はショウジョウバエから逸れてその存在を忘れ、僕は潤さんとの会話に戻っていった。
数時間後、夕飯を食べていると、今までどこにいたのか、そいつは再びどこからともなく飛んできて料理の皿の縁に止まった。
そのハエを見て僕は言った。
「ここにショウジョウバエが居るんですけど・・・こいつは凄い幸せな奴だと思うんですよね」
「このハエね、なんか3日くらい前からいるんだよね」飛野さんが優しい声で答えた。
「あ、飛野も気がついてたんだ」
潤さんが続いた。
僕はそれら言葉の意味を理解し、感銘を受けた。

寒い1月に生まれるハエはもういないかもしれない。生物にとって持って生れたて役目である子孫を残すことは、このハエには難しいかもしれない。
でも暖かい部屋で、死の危険を伴わずに美味しい飯にありつけるショウジョウバエ
もし、僕の実家で生まれていたのであれば、ハエに特に敏感な親父に直ぐにはたき殺されていたであろう。
ハエはじっくりと飛野さんの美味しい手作り料理を味わっていた。
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2017年1月9日