雪かき東北縦断の旅

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雪かき東北縦断の旅

旅の記録 「雪かき東北縦断」のブログです。期間は2017年1月~3月の2ヶ月間。福島県⇒山形県⇒秋田県⇒青森県と東北地方を雪かきを手伝いながらの縦断に挑戦します!

東北縦断の旅11日目 ~山形へ抜けるのはまたまた先延ばし!西会津で暮らす武樋さんに会いに~

 2週間ほど前のこと、僕が所属する三峰山岳会の友達に「ハッチ―これ読んでみなよ!」とお勧めされて、今、少しずつ読んでいる本がある。

本の名は・・・・”猟師の肉は腐らない”

 茨木、福島県の県境に聳える標高1000m程の八溝山。その山の中で、狩りをし、虫を山菜を食べ、自然と共に1人で暮らしている男がいる。著者がその山男(義っしゃん)を訪ね、共に過ごした数日間の貴重な体験を書いた本である。

昨日、読みかけていたページを開き、続きを読んでいた際にある箇所に目がぶっ刺さった。

数日前に書いた記事、薪風呂に関係があったからだ。

 

『風呂というものは本来、体を温めたり洗って清潔にするだけのものではない。現代の多くの人は知らないだろうが、昔の村里の生活に於いては、毎日のように風呂を焚くことなど滅多になく、客が来た時に立てたり、隣近所や縁故者が互いに呼びつ呼ばれつして利用することがほとんどであった。これを「呼び風呂」あるいは「もらい風呂」と言ったが、互いの絆や親睦、さらには農作業や身近な情報交換の場になっていたのである。今はそんな風習も無くなり、多くの人は密封された空間の中で、湯船にゆったりと浸かっているのであるが、この八溝の山中で義っしゃんから「もらい風呂」を馳走してもらった俺は、そこに風呂の持つ本来の姿や形がなんとなく宿っているような気がした。』(猟師の肉は腐らないから引用)

 

これを読んで成程な・・・・と僕は思った。

今まで知らなかったが、風呂には昔から深い意味があったのである。

化石燃料にしろ木にしろ、長い年月をかけて少しずつ地球が作り上げた偉大な資源を燃やし、わざわざ水を沸かして入る風呂。

たかが桶一杯のお湯でも、深く見れば数多くの生き物の犠牲の上で出来ているのだ。

そんな風呂は本来、温めるとか綺麗にする等そんな軽い理由だけで使うものではないのである。

 

~山を下りる。歩く意味~

 雪が薄く積もった山道は、コチコチに凍っていた。気を抜けば簡単に滑ってしまう。

僕は慎重に坂道を下って行った。

緩やかなカーブを曲がると、20m程離れた道路の先に一台のブル(除雪車)が轟音を響かせながら道に積もった雪をかいていた。ミラー越しに僕の姿が見えたのだろう、ブルのエンジンがピタリと止まり、ドアが開いた。おじさんが顔を出してこちらに振り向いた。おじさんは出した顔を動かさず、ゆっくり歩く僕をじっと見ている。先ほど、ひでじいの家で別れたばかりの、宮古の区長さんだ。

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おじさんは微動だにせず微笑みもせず、真顔でじっと見つめてくる。僕もおじさんの顔を見つめながら歩を進めていった。ブルの真横へたどり着いたとき、おじさんが笑いながら口を開いた。

「おう、お前、本当に歩くのか!がんばるんだぞ!!!」

おじさんの脇から運転していた若い男が身を乗り出し、そして叫んだ。

「おい、死ぬんじゃねぇぞ!!またこいな!」

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 彼らは昨日と今日、ひでじいの家までブルで除雪しに来た、宮古に住む男達だ。ひでじいに「休んでけ」と家に招かれ、一緒に語りながら茶を飲んだのだ。

 ブルの横を通り過ぎると、ブルはバカでかいクラクションを3度鳴らし、歩き去る僕を見送ってくれた。なんと清々しく、気持ちの良いことだろう。おじさんたちの激励と雲間から差し込む温かい陽光とが相まって、心が温まった。

 1時間ほど歩いて山道を降りると、道はT字路にぶつかった。右に曲がり、曲がりくねる山道を歩いてゆく。晴れていた空はすっかり雲が覆い、ちらちらと雪が舞ってきた。一台の車が後ろから走ってきて僕の横で止まった。

「この雪の中、どこに歩いて行くんだ?」男が窓を開けて言った。

「山都まで歩くんです」

「山都~?まだまだ遠いぞ?乗れ!山都まで乗せてってやるから」

「ありがとうございます!でも、僕は歩きますんで・・・・」

「そうか、気を付けてな!」

そう言って雪煙を舞い上がらせながら、車は去っていった。

雪は段々とその強さを増していった。道は狭く、両脇に雪を被った木々が迫っている。

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小さな集落を幾つか抜け、尚も道は続いている。歩くにつれて喉が渇いてきた。

水筒の水はもうとっくに無い。

周りに民家はなく、山間を雪を被った道が淡々と続いている。

喉がからからだ。唾液は干からび、口が粘ついてきた。

雪を口に入れて溶かして飲めば、多少なり渇きを潤すことが出来るだろう。

しかし、そうはしない。あと30分も歩けば、恐らく山都の町へたどり着き、新鮮な水をたらふく飲めるであろう。それはきっと最高に美味しい水に違いない。

 しかし、我慢するにつれて喉の渇きは一層激しくなっていった。頭の中が水で一杯になった。今すぐに水を飲みたい。水筒に少しでも水を残しておけば、そこに雪を継ぎ足して溶かし、水を作ることが出来たはずだ。何故水筒の水を全て飲んでしまったのか・・・後悔した。それは、少し歩けば直ぐに町に辿り着くだろうという安易な気持ちが招いた結果だった。

 雪が美味しそうだ・・・、ザックを降ろして荷を解き、ストーブで火を焚いて飯盒で水を作ろうか・・・、いや雪の降るこの寒い中、何十分と要するそんな事をわざわざしたくない。だが水が今すぐに飲みたい・・・。水水水・・・水の事ばかりを考えてとぼとぼと歩いていると、耳に微かに水の流れる音が聞こえてきた。最初は微々たる音であったのだが、歩くにつれて音は大きくジャバジャバと鮮明に聞こえるようになっていった。次第に大きくなる音につられて、干からびていた気持ちが潤ってきた。

水がある!近くに水が流れている!それも勢いよくだ!歩く足に力が入った。

水はあった。道の脇、雪を被った斜面に雪を溶かして穴をあけ、小さな滝となって水が勢いよく流れ落ちていた。

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 僕はザックを勢いよく降ろして滝に近づき、流れ落ちる水柱に口を突っ込んだ。冷たい水が口に入り、渇いた口内を一瞬で潤して喉を通り、やがて腹に落ちていった。息が苦しくなってきた。いったん水柱から口を離し、一息ついた。はぁはぁと少し呼吸が乱れている。体中の干からびた細胞が歓喜の声をあげた。美味い、なんという美味さであろうか!まだまだ喉が渇いている、もっと飲みたい!!

 再び口を水柱の中に戻した。呼吸は止まり、水がどくどくと体の中に流れこんでくる。そして新鮮な生の水は、僕の想像に火を点けた。

 今飲んだ水・・・地を流れていくはずだった水の旅を、今飲んでいることで僕が終わらせてしまったんだ。水は旅をしていた。広大な地球を巡る、果てしの無い旅を。僕が今ここに現れなければ、水は地球を巡る旅を続けられていたことだろう。水は地に落ちて川にゆき、あるいは地に深く深く浸透して地下水脈を通り、色んな地を、僕ら人間では決して経験出来ない壮大な旅をして、やがては海に帰っていったことだろう。そんな水の旅を僕が終わらせてしまったんだ。

 そんな想像をしている間に息が苦しくなってきた。再び口を離して呼吸を整える。だいぶ渇きは治まったが、まだ完全とは言えない。あと少しだけ飲みたい。そんな小さな欲に駆られて、口を水の中に戻した。再び水が勢いよく体内に流れ込んでいった。

 流れ落ちる滝の中に、突如現れた僕の渇いた口。水は本来行くべきだった流れの向きを変えて、小さな僕の体に流れていった。水の壮大な旅は突如規模を縮めた。広大な地を巡る旅から、僕の体内を巡る、小さな旅へと。水は体の隅々まで行き渡り、やがて汗となり尿となり、僕の体を出て、再び海へと続く壮大な旅に出るであろう。僕は水の旅を終わらせたわけでなかった。水は少しの間、地を離れて僕の体に入り、寄り道をしただけなのである。

水が汗となって蒸発し、再び楽しいであろう地を巡る旅へと出られるように・・・今飲んでいる水の為にも歩かなくては!

そう思ううちになんだか凄まじいエネルギーが体の奥底からふつふつと沸いてきた。何だこれ!?

 僕は口を離して、手で濡れた口元をぐっと拭った。もう十分だった。腹は満腹、そして心も不思議な幸福感に満たされていた。あの時、おじさんに言われるがままに車に乗っていたら、水を発見した時の、そして飲んで生まれたこの喜びは決して味わえなかっただろう。車に乗っていたら、恐ろしい速さで道をすっ飛ばし、脇道に静かに流れるこの地味な沢も発見できなかったはずだ。喉も乾かなかっただろう。自らの足で歩き、そして喉を体を干からびさせることによって感覚を研ぎ澄ませた。そして苦しんだ末、現れた新鮮な沢!見つけた時の感動と喜び、渇いた体を潤したときの満足感、これを味わえることにこそ、じっくり歩く意味があるのである!

 僕はザックから水筒を取り出して、生き生きとした水を並々と注ぎ入れた。この水は昔からこの地の多くの人々に、喜びを与えたのであろう。

 

 

~山形行きは先送り~

 14時過ぎ、山都の町へたどり着いた。

ひでじいを紹介してくれた秋庭さんにお礼を言おうと、”茶房 千”の扉を潜った。

店内は、薄暗い。木の壁や柱、机などがランプのオレンジ色の光に照らされている。

「あら、おかえり!!ひでじいの所から帰ってきたの!で、どうだった??」秋庭さんが豆乳の甘酒を片手に持ってきた。

「寒波は過ぎたみたいで、僕はこれからヒッチハイク喜多方市内、喜多の郷へと戻って、明日大峠を越えて山形に入ろうかと思います!本当に、ありがとうございました!」僕は言った。

「そうなんだ!丁度いい、だったら喜多方市内まで送ってってあげるよ!今丁度、ビールを買いに喜多方へ行くところだったから」秋庭さんは言った。僕は再び世話になることになった。

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 喜多方市内へ行く車中の中で、秋庭さんは山都の事を語ってくれた。

山都に移り住んでまだ間もないころの事だった。秋庭さんは夕方家に帰った。すると可笑しなことに、閉めたはずの玄関の鍵が開いている。まさか・・・・泥棒??恐くなって恐る恐る家の中に入っていった。居間の電気が点いており、テレビの音が聞こえてくる。え???何?誰かいるの??そう思って、覗くと、なんとそこには大家のおじさんが居るではないか。秋庭さんに気が付いたおじさんは言った。「おう!なんだ帰ったか!鍵閉まっちゃってたよ!!」と。

 「ここ山都に移住してくる人は結構多いのよ!何故だか分かる??人よ、人!人がとにかく面白いの!!ひでじいみたいに、癖がある人が沢山いるの!それがおもしれぇって言って若い人が結構移住してくるのよ。でも、今の大家のおじさんの話みたいに、ずかずかと人の領域に自然と当然のように入ってくるから、それが許容できる人じゃないとここには住むのは難しいかもしれないね。で、ひでじいは元気だった?」

僕はひでじいの家で苦労して作ったそばの話を聞かせた。秋庭さんは大爆笑した。

「ははは、そうなんだ!よかったわ、期待以上のことをしてくれたわね!まだ面白い人が沢山いるのよ、例えば・・・西会津の方に武樋さんていう人が住んでてね、その人の生き方が凄くて、弟子が何人かいるのよ!八須君も弟子になったら面白い、あぁ時間に余裕があったら、ぜひ武樋さんに会って欲しかったなぁ・・・」

僕の気持ちは武樋さんという人に一気に向いてしまった。会ってみたい!時間に余裕?そんなものいくらでも作れる!明日、山形へ抜けるのは止めだ!!

それを聞いて秋庭さんはひでじいに電話した時の様に、早速武樋さんに電話を掛けてくれた。OKだった。

 喜多方のスーパーで、ビールやら食材やらを買い、再び”茶房 千”に戻ってきた。

「武樋さん、どうせろくな物食べてないだろうからさ、今からおでんを作ってあげるの。大食いでね、以前、6合を一回で食べちゃったことがあるの。信じられる?6合よ、6合。じゃあ、私おでん作るから、店の前の雪をかいててほしいな!」そう言って秋庭さんはキッチンでおでんを作り、僕は雪をかいた。6合を食べちゃう人か・・・・僕の頭の中で武樋さんの想像が段々と凄まじくなっていく。

 外はもう薄暗く、空気がキンと冷え切っていた。雪はすっかり止んでいた。街灯がうら寂しそうに照っている。両側真っすぐに伸びる道路沿いに建つ家々には、電気が点いていないものが多い。空家が多いのだろう。町は暗く静まり返っていた。人が時々寒そうに身を縮めながら通り過ぎていった。雪をかいていた僕は暑かった。

 その時だった。ガガガガッと音がしたかと思うと突然、頭にぶん殴られたような物凄い衝撃が走り、首の骨がググッと前に持っていかれそうになった。”茶房 千”の屋根からの落雪だった。幸い、屋根が低かったので、助かった。

 七時頃、店のドアが開き、丸い眼鏡をかけ、体が大木の様にがっしりと太く、身長の大きな大柄な男性が入ってきた。武樋さんだった。

 大鍋に入ったおでんとご飯の入った炊飯器を渡され、僕は武樋さんの車に乗っかった。住んでいるところは山都から西へ10数キロ離れた西会津。道は山に差し掛かり、いくつもの曲がり角を曲がって真っ暗な峠を越えていった。

「ご飯を6合食べたって聞いたんですけど、本当ですか?」僕は尋ねた。

「あぁ、前ね。何も気にせずモリモリ食べてたんだ、そしたらさ『ねぇ、武樋さん、米6合焚いたんだけど・・・無くなっちゃったよ』って言われてね、知らないうちに食べちゃってたんだ」武樋さんは言った。

 40分ほど走った後、大きな倉庫の前に辿り着いた。三神峰商会と書かれた木の札が入口に掛かっている。もう使われなくなった町一番だった酒蔵を再利用し、車などの修理工場として使っていた。

「おしっ〇は、ここの缶の中にね。これは僕が作った濾過装置なんだ」と雪の中においてある、砂や石?何かが詰められた缶を指さして言った。早速そこへおしっ〇を入れると、じょぼじょぼと音を立てて缶の中に消えていった。濾過されたようだ。

 武樋さんは大学の助教授をしていたころ、福島県郡山市のアパートで暮らしていた。そのアパートに住み始めて間もなく、不備に気が付いた。キッチンのガスコンロが使えないのである。ガスが故障していたのである。しかし故障していてガスが使えないのにも関わらず、ガス会社からガスの基本料金を請求された。それに納得が出来ず「故障して使えないのに請求されるとは、どういうことだ!!」と支払いを断った。それからだった。武樋さんはガスが使えないのなら、ガスや電気を使わない生活をしてみようと思った。しちりんで火を焚き、ろうそくを照明につかって生活を始めた。そして自分の生き方や社会の仕組み等に疑問を持ち、田舎に引っ越して来たそうだ。

詳細は新聞記事で!

 

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 こんな人間は今まであったことが無い・・・・武樋さんは初めて出会った、変わった凄まじいエネルギーの持ち主であった。

 僕らはおでんを囲んで食べながら、2時近くまで語った。

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「そこの部屋使っていいから!」と案内された小屋の中で、僕は寝袋にくるまって眠った。朝、シャッターを誰かが叩く音で目覚めた。シャッターを開けるとおじさんがたっっていた

「軽トラが壊れちまってよ、見てくれないか」

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 この奥川という集落には車や農機具の修理場が無く、武樋さんは地域住民の多大な力になっていた。今研究してることは、太陽エネルギーで風呂を沸かすことだそうだ。数年後、僕が田舎に住むようになった時、色んな事を教えてもらおうと思う。

 

2017年1月16日

 

東北縦断の旅10日目 ~初めての薪風呂~

 午後3時過ぎ、昼寝から目覚めたひでじいが言った。

「よし、折角だから今日は風呂に入ろう。1週間ぶりの風呂だ!うちは昔から薪風呂なんだ。八須さん、薪風呂に入ったことはあるか?」

そう言われて僕は、乏しい今までの記憶を漁ってみた。

いつのことだが・・・・北海道の夜の森の中で、小川の音を聞きながら薪風呂に入っている情景がぼんやりと浮かんできた。

でもこの記憶は確かではなく、凄く曖昧だ。(後日親に聞いてみたら、北海道では温泉ばかり入っていて薪風呂に入ったことは無いそうだ。一体この記憶とも分からぬものは何なのだろうか・・・僕の母型の爺さんは北海道生まれなので、先祖の記憶なのかもしれない)

「薪風呂・・・いや、無いです」僕は答えた。

「そうか、じゃあきっと気に入るぞ!今から薪焚きだ」

そうして僕らはかんじきを履き、戸を開けて雪の降る外へと出た。

 ひでじいの敷地内には建物が3つあり、冬の間は、2年前まで蕎麦屋を営んでいた少し新しい木造の建物で生活している。

そこから20m程離れた場所に茅葺屋根の建物があり、そこは風呂を入る時にだけ使用していた。

 積もっている雪の量がとにかく多いため、その20mを行くのにも一苦労である。

「ワシは歩くの遅いから先に行っててくれ」ひでじいにそう言われて僕はかんじきで雪を踏み固めながら風呂があるという古い建物へ歩いてゆき、くたびれた戸をガラガラと開けて中に入った。中は暗くしんと静まり返っていて、とても寒い。この家だけ何十年も時が止まったかのような古く、掃除が行き届いていないのだろう、荒れていた。

暫くすると、ひでじいも入ってきて薪を焚く準備に入った。

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 薪小屋から一束薪を持ってきて、マッチを擦ってかまに火を焚きつけた。

みるみると火は燃えあがり、白い煙がもうもうと溢れ出てきた。

部屋の中はあっという間に煙で満たされた。

家全体に染み渡る心地よい木香が鼻をついてきて、自然と心が落ち着いてくる。

「40分位したら40℃位になるだろうから、それまでゆっくり待とう」ひでじいはそう言ってこたつに入り、テレビをつけて相撲を見始めた。

「あぁ~〇〇負けたぁっ!!」「勝ったぁ!!」などとテレビを見て興奮している。

しかし僕には全く分からない。

相撲に、いやテレビに興味が沸かず、見ていてウズウズともどかしくなってきた。

相撲よりも、この茅葺の家が一体どうなっているのか気になった。

「この家気になるんで、探検してきてもいいですかね?」僕は尋ねた。

「あぁ、前来た孫も探検探検って言って家じゅうを真っ黒になって走り回ってたぞ。すすが凄いからスリッパでも履いて行ったらいい、もしかしたら何か面白いもんが見つかるかもしれんな!」

 僕はスリッパを履き、暗い階段をギシリッ、ギシリッと音を立てて上がっていった。

2階は1階以上に荒れ果てていた。床は茅(かや)で埋め尽くされ、破れた障子戸が壁にもたれかかり、使い古された椅子や樽などが置き捨てられている。昔、蚕を育てていたのだろう、柱に蚕の干からびた死体が引っ付いている。まるで廃墟内を探検しているようで、心が踊った。

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※探検の戦利品。未開封のカルピスと焼酎。ひでじいは「でかした!!!今日はこれで乾杯だ!と喜んだ。 

 

 「お~ぃ、い~湯加減だぞ~」そんな声が聞こえてきた。湯が沸いたのだ。

桶の蓋を開けると、透明な湯からゆらゆらと優しく湯気が立ちのぼっていた。

外は吹雪いており、隙間風が寒く、ガタガタと戸が軋む音が聞こえる。

こいつが薪風呂か!生涯初めての薪風呂だ。

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「何分でもゆっくりと浸かるといい、熱くなったらここから水を足してくれ」ひでじいが言った。

窯で燃える木の香りがふんわりと漂うなか、湯につかった。温かい湯が一瞬にして全身を包み込み、例えがたい幸福感に満たされた。同時にいろんな想像が頭の中を駆け巡った。

 

 ある日、木から種が地に落ちた。

その種は水を吸い上げて芽を開き、周りの幾数もの草木と競い合って天に身を伸ばしていった。

この雪深い山奥で時に暴風雨に晒され、雪に埋もれ、猛暑に苦しみ、そして色んな生き物の拠り所となって何年、何十年と長い歳月を費やして育った木。

木、一本一本にしろ壮大なドラマがあったのであろう。

 過酷な自然の中で育ったそんな木々が湯を沸かすために、一瞬にして燃やされてしまう。それもたかだか体を温めるため?疲れを癒すため?そんな僕の利己的な理由などのためにだ。そんな使い方をして、命を懸けて育ってきた木の魂がどうして報われるだろうか・・・。この地で自然と共に生きて来なかった、ひょこっと現れた僕にそんな権利などあるのだろうか。

 燃える木の香りを嗅ぎ、底の方からじんわりと暖まっていく湯に浸かりながら、色んな思いが込み上げてきた。

普段、家で入っていたガス風呂ではこんな想像をしたことが無かった。

そんな木々に報いるために、この湯を堪能しよう!!この湯の温かみは燃える木の命だ!!木々よありがとう。

僕は体の隅々まで湯のぬくもりが行き届くように、存分に浸かった。気が付くとあまりの気持ちよさにウトウトと眠ってしまっていた。

 心行くまで旅をし、将来はどこか大自然の中に身を置いて、自然と共に暮らそう。そう思った。

 

 

 翌朝、まだ夜が明けきらない外を見てみると、雪は降っているものの大分弱まっている。

「まだ、ゆっくりしていてもいいぞ」ひでじいが言った。

しかし、歩かなくて、僕は北へ行かなければならない。

昨日入った薪風呂もそうであったし、まだまだ僕には知らないことが多すぎる。

未知の地を歩き、知らないことを知って、見聞を広げなくてはならない。

僕はひでじいにお別れすることにした。

面識もない僕に本当に良くしてくれ、ありがとう。

この次の夏は北米に行ってしまうので、また次の夏、恩返しに大変だという畑仕事を手伝いに行こうと思う。

 

 10時、雲間から青空が覗き、眩しい太陽が顔を出した。

それは久しぶりに見る太陽だった。

明日明後日で天気が回復しそうなので、大峠を越えて山形へ入れるかもしれない。

僕はひでじいに別れの挨拶をして、家を出た。

来た時と同じように窓から顔を出している。「またいつでも来なさい!」と。

山奥で1人で暮らすひでじい、この家でひでじいと共に過ごして得たことはとても大きかった。

東北縦断9日~10日目 ~宮古の山奥で一人で暮らす”ひでじい”に会いに~

 こたつに入って酒を飲みながら浅見さんと僕は、眠くなるまでの数時間大いに語った。

いくつかの話題の中で特に僕の心を引き付けたのが、守人の話であった。

 

 今はもうないのだが・・・浅見さんの住む早稲谷という集落から、うんと離れた山のその稜線上に、数年前まで家が一軒建っていた。そこの家には4人の親子夫婦が暮らしていた。

 雪が降る、寒いある冬の夜のことであった。その家が火事になった。

火に気が付いた子夫婦は慌てて家を飛び出した。しかし年をとった親夫婦は逃げ遅れ、家に取り残されてしまった。冷たい雪が舞う夜に、火は衰えることなくますますその強さを増していった。先に逃げた子夫婦の旦那は、親を助けるために燃え盛る火の中に戻って行った。妻は集落の人々の助けを求めに、山を降りた。だが腰の高さほどある深い雪が行く手を阻み、中々進めない。それでも何とか集落に辿り着いた。村人は事情を聞いて直ぐに消防隊を結し、山道を登って燃える家に向かっていった。雪は深く、消防車は中々進めない。皆で雪をかき分ける。悪戦苦闘の末、何とか家に辿り着くも、時すでに遅し。家はもう既に全焼してしまっていた。浅見さんは聞いた。「なんで人里離れたあんな不便な所に、家があるのだ」と。村人は言った。昔、あの家の屋根裏を見せてもらった時に、そこには弓矢や槍が沢山隠してあったんだ・・・あの家族は、守人の末裔だったんじゃないか。人里離れた不便な場所、見晴らしの良い山の稜線上に建っていたのも、そこが敵の襲撃を阻止する適地だったからであろうか。

 

 夜もすっかり更けた頃、浅見さんはこたつに入ったままグーグー眠ってしまった。

僕は電気を消し、こたつに半身を入れ、座布団を枕代わりにして横たわった。

時間は12時を過ぎていた。今日はもう除雪車の轟音に妨げらることなく寝れるだろう。

僕は目を閉じて、幸せに溢れた世界に旅立とうした。

その時だった。今まで静かにしていた2匹の猫達が、まるでこの時を待ってましたと言わんばかりに、暗闇の中ガサゴソと動き回り始めた。

2日前にこの家に来たばかりの子猫の目には、何もかもが新鮮に映ったのであろう。

好奇心と冒険心に富む子猫は、寝不足で苦しむ僕のことなど気に留めることなく部屋中をやたらめったら駆け巡った。もう一匹の猫も子猫に共鳴してか、走り回った。

居間の小さな限られた空間は、彼らの燃え滾る興奮を鎮めるのには少々狭すぎるのかもしれない。彼らは何度も棚の上から果敢にジャンプし、そのたびに乗っていた書類や物がバサバサバサーと雪崩落ちた。畳に爪をひっかけてカサカサカサッと音をたてて走っては突然止まり、空き段ボールの中に飛び込んだりした。

彼らは鎮まることなく、ひたすら走り回った。

こうして猫達の発する音にやられてしまい、結局この日僕は一睡もできなった。

猫の暴れる音などで寝れぬとはなんと神経質な体質なのだろうか・・・

 

 早朝3時過ぎ、浅見さんと僕は起床して暗い夜道を山都駅へ車で向かった。

雪が猛然と降っていた。暗いうえに吹き荒れる雪で、視界が非常に悪い。

間もなく僕は猛烈な眠気により、意識が半分ぶっ飛んだ。

隣で運転する浅見さんが時折話しかけてくるのだが、それを聞き取ってなんといっているのか判断することが出来ず、僕は全く見当違いの訳分からぬ返答をしていたことと思う。

駅のホームには雪が厚く降り積もっていた。

僕らの他に2人の男性が加わり、まだ暗い夜明け前の凍てつくさ寒さの中、雪かきをした。

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終わると、車に乗り込み、隣の荻野駅へ移動して雪をかく。

再び山都駅へ戻ると、かいたはずの雪が高く積もっていた。そしてまた雪をかく。

これまでの道中、沢山の方々に親切にしてもらったので、この雪かきは福島県への恩返しであった。

 

 昼過ぎ、浅見さんと空っぽの胃袋を腹に抱え、茶房”千”の扉を潜った。

秋庭さんが自家製手打ちうどん”カレーうむどん”をご馳走してくれた。

うむどんを食べながら、秋庭さんと浅見さんは、ここから10キロ程離れた山間に宮古という部落があり、そこで暮らしているある爺さんの話を聞かせてくれた。

その爺さんは”ひでじい”と呼ばれ、人里離れた山奥に1人で住んでいるのだそうだ。

物知りで癖のある面白い爺さんで、会って話をすればきっと貴重な話を沢山してくれるよ、と、そう言うのだ。

それを聞いて僕の気持ちは”山奥に1人で暮らす、ひでじい”に向いてしまった。

「会いたい?それじゃあ電話してみるね!」秋庭さんはそう言って、ひでじいに電話した。

 

 浅見さんの車に乗せられて、僕は茶房”千”を去った。雪は猛然と降り続けていた。町を抜けて山へと通じる道へ入ると、民家は直ぐに消えていった。小高い山に囲まれた雪道を暫く走ると、古民家が幾つか立ち並ぶ小さな集落・宮古が現れ、そこからさらに山の上へと通じる道を走っていく。雪が道路を厚く覆っていた。積もった雪に阻まれて、今にも車が動かなくなってしまいそうだ。

「これは早く帰らないと、帰れなくなるな」浅見さんが体を前方に屈め、注意深く前に目を凝らしながら言った。雪蹴散らしながら暫く走ると、山の中腹に積もり続けた深い雪に半ば埋もれて、家がポツポツと3件ほど現れた。道路に面した家の窓から爺さんが顔を覗かせていた。

「よく来た!さぁ入れ入れ!!」

家の中は暗く、居間に入ると、茶菓子や菓子袋・箱、ジュースに缶コーヒー等雑多なもので溢れかえっているテーブルの前にひでじいがいた。

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顔には大きな青黒いあざが付いていた。

「えっひでじい、その顔のあざは?」浅見さんが言った。

「階段で転んで打っちゃったんだよ」ひでじいはあざを擦りながら言った。

外の吹き荒れる雪は止む気配を全く見せず、どんどん降り積もっていた。

暫く3人で話した後、浅見さんは「じゃ、またな!」と僕に言って帰っていった。

家には僕とひでじいの2人になった。

急に静まり返り、僕はあたりを見渡して壁に掛かっている時計を眺めた。

壊れているのか、針は7時を刺している。

「あぁ、あの時計は9時間遅れてるのよ、だから今は4時くらいじゃないかね」ひでじいが言った。「秒針の動きをちょっと見てみな」

そう言われて僕は秒針を見た。

針はチクチクチクとぎこちなく少しずつ上昇していき、12を回って1を越えた瞬間、ストンッと一気に6まで落ちていった。

「ほら見たか今の!!?ほんと、どうしようもない時計だ、もう何年もあの状態なのよ」ひでじいが声をあげて笑った。

秒針は6から動かず、チッチッチッと小刻みに震え、暫くすると再び上昇を始めた。

9時間遅れている時計を初めて見た。

 

 ひでじいは、本当に山の中で一人で暮らしていた。

冬になれば雪が深く積もり、外に出ることは出来なくなる。

そうなれば家の中でじっとしているしかない。

奥さんは他界し、話し相手もいなければ猫や犬もいない。

そんな中に突然現れた流れ弾の様な僕に、ひでじいは言った。

「まだまだこれから旅は長いんだろう。ここで疲れを全部とって行きなさい、好きなだけいてもいいから」と。

 

 この日9時ごろ眠りにつき、3日ぶりの十分な睡眠をとることが出来、体力も回復した。

翌朝6時半ごろに起床した。ひでじいは言った。「もう起きたのかい!?まだ寝てなさい」と。

しかし昔からどうしても遅くまで寝ていられない体質で、一度起きてしまったからには再び眠ることなど出来やしない。

 ひでじいと一緒に家の周りの雪をかいた。

雪は止むことなく、嵐の様に吹雪いていた。

「酷い天気だ。この雪じゃ駄目だ、出発出来んな、今日もここで寝ていけ」ひでじいにそう言われてもう一泊させてもらうことにした。

宮古の地は標高が高いため、米作に向いてない。

そのため昔から人々は米の代わりに蕎麦を作って食べていた。

そんなこともあり、宮古の集落の家はほとんどが蕎麦屋を営んでいる。

90歳を越え、体が思うように動かなくなってしまった今ではもうやっていないのだが、ひでじいも2年前まで蕎麦屋を営んでいた。

そんなひでじいが言った。「古いそば粉があるんだが、蕎麦食わんか?」

古いそば粉?どんなそば粉なんだろうか、古いそば粉とは・・・。それに現在は引退し、今ではもう食べられないひでじいの蕎麦を僕は食べてみたくなった。

「食べます!!」僕は言った。

 

 ”苦労の蕎麦”

「よし、それじゃあ打ってやる!!久しぶりの蕎麦打ちだ!」そう言ってひでじいは居間を出て、曲がった腰で調理場へとヨタヨタと歩いて行った。僕はその後に続き、どのように蕎麦が出来るのか見ることにした。

「何処だ何処だ、どこにしまったかな・・・」ひでじいはそう呟きながら冷蔵庫の中をガサガサとあさり、そば粉が入ったビニール袋を奥の方から取り出した。

それを床に置いた大きなこね鉢にあけて、ヤカンからボジョジョジョジョ・・・・と熱湯を注ぎ入れた。そしてそば粉を慣れた手つきでこね始めた。

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こね始めてすぐに、コヒュー…コヒュー…ヒュー…と苦しそうな息遣いが聞こえてきた。

その姿を見て僕は申し訳ない気持ちになった。あまりにも息切れが苦しそうなのだ。しかしひでじいは切れる息の中、言った。「はぁ・・・はぁ、今に見てな、美味い蕎麦を作ってやるから」

その時だった。

「あっ!!!しまった!」突然ひでじいが声を上げた。「腕時計外し忘れたっ」

見ると細い左腕に、小さな腕時計が付いている。

ひでじいは白い粉にまみれた右手で、カチャカチャと腕時計を外しにかかる。

カチャカチャカチャ・・・腕時計はその細い腕にしっかりとしがみ付き、なかなか外れないようで、次第にひでじいは慌て始めた。「あ、くそうっくそう!蕎麦が冷めちゃう」

ようやく腕時計は外れて、再びこね始めるも、ああぁ・・・冷めちゃった・・・と落胆した。

それに追い打ちをかけるように、再び不運が続いた。

何の前触れもなく突然辺りが真っ暗になった。僕らのいた調理場の電気が消えたのだ。

「えっ!電気が消えた?なんだどうした!!」ひでじいがいった。

停電かな・・・僕はそう思ったのだが、居間の電気はついており、調理場の電気だけが消えていることが分かった・

「暗い、見えない!!」暗闇の中、ひでじいが叫んだ。「なんだ、なんで電気が消えた!!?」

暫くして電気は回復し、元の明るさに戻った。ひでじいは、あぁぁ蕎麦がすっかり冷めちゃったよ・・・と先ほどよりも落胆していた。

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 なんとかこねあげて、板の上に置き、うち粉を振りかけてめん棒で広げて切っていく。

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「蕎麦がボロボロだ、見てみな端を!ひび割れてるだろ、これじゃあ駄目だ、これじゃ美味い蕎麦は出来んよ。すまんなぁ」ひでじいはそう言いつつも伸ばして切っていく。

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 「あともう少しで出来上がるから、おわんと箸を用意して、居間で待っててくれ」

僕は居間で待った。

すると突然、調理場から叫び声が聞こえてきた。

「うるさい、うるさい、黙れ!!」と。

何事かと見に行くと、廊下も調理場も真っ白い湯気で充満していた。その中でなにやら甲高い警報がビービービーと鳴り、火事です火事です避難してください、と機械音が声を発している。

見ると、ひでじいが大きな鍋で蕎麦を茹でていたのだ。どうやらその湯気に火災報知器が反応してしまったようだった。

ひでじいはその鳴りやまない警報機を罵倒していた。うるさい、火事じゃない、黙れ黙れ!!と。

 「ぼそぼそで美味くねぇや。これは蕎麦っていわねぇ。すまんな」そういって出来上がった蕎麦。

しかし、息を切らしてこね、時計を外し忘れて、電気が消え、最後に火災報知器まで鳴り響いて出来た蕎麦、そんな苦労の末に出来上がった蕎麦が美味しくないはずがないだろう!!!!!ひでじいの心のこもった蕎麦は僕の体の一部になり、これから先、まだまだ元気に旅が続けられることだろう。

 

 

 

東北縦断8日目 ~飯豊山の麓町、山都へ~

 ガガガガッ・・・・と耐えがたい轟音を響かせながら、それは再びやってきた。

その音を耳にし、パチリと目が開いた。

暗い、まだ夜が深いのは確認するまでもない。

それでも恐る恐る時計を見た。

ちくしょう・・・・

心の中でそう呟いてしまった。

時間はまだ、2時を過ぎたばかりだった。また・・・・こっ酷い時間に目覚めちまったものである。

その後も昨日と同じ眠れぬまま夜明けを迎えた。

今日も1日、寝不足である!

 

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~朝飯とおばさん~ 

 すっかり明るくなったころ、寝袋から這い出てストーブに火を点けた。勢いよく噴き出る青い炎は冷えたテント内を瞬く間に温めた。暫くそのぬくもりに浸った後、水を張った飯盒を火にかけた。水は沸騰し、ふたを開けて切った野菜と餅、みりんと醤油を入れる。立ちのぼる湯気をジッと眺め、タオルで飯盒の淵を持って少しすすってみた。素晴らしい!上出来だ。(料理名はなんというのか、分からない、スープ・・・かな?)

 外は寒く、ストーブに暖まりながら食べる計画であったのだが、突然気が変わった。ストーブの火を消し、刺すような冷たい空気の外へと出た。

太陽は分厚い雲に遮られ、猛烈な勢いで雪が降っていた。それでもテントは屋根下に張ったので雪の影響は全くなかった。

直ぐ近くのベンチに腰掛け、降りしきる雪を眺めながら先ほど作ったスープ?をすする。温かい液体が、冷たい体の中にスーと流れ込んでゆく。幸せになった。

 そうやって外の雪景色を眺めながらゆったり寛いでいると、車から白いぬくぬくのコートを羽織った上品なおばさんが降りてきて、僕のいる狭い屋根の下に歩いてやってきた。

おばさんはうろうろとなんだか落ち着かない様子である。寒いのであろう。

「おはようございます」僕は一言挨拶した。

おばさんは僕の方に振り向き、そして言った。

「あらら、おはようございます。こんな朝に、あなた一体ここで何をしているの?」

「朝飯食べてるんです。今北へ向かって歩いてまして・・・・昨日はここにテント張って寝て、今、雪景色を見ながら朝飯を食べてるところなんです」

「・・・・こんな所にテント張って、ご飯を自分で作って食べて、歩いて・・・あなた、なんて逞しいのよ!」おばさんは言った。

今回の旅を、バカだと言って否定する人も沢山いた。でも、こうやって逞しいと捉える人もいる。

当たり前だが・・・世には、色んな人がいるものだ。

「私はなんであんな人と結婚してしまったんだろう・・・・。私ね、昔は東京に住んでいたの、東京で今の旦那と知り合って結婚し、こっちに移り住んできたんだけど・・・。もし人生をやり直すことができたら、逞しいあなたに出会えていたかしら・・・?」おばさんはため息をつきながらそう言った。暗くて重いため息だ。

なにか相当な悩みでも抱えているんだろう・・・・。後悔とは凄いもったいないことだ。おばさんの今は楽しく面白くないのだろうか・・・?

せっかく心地よい朝を過ごしていたところを突然暗い世界に飲み込まれそうになり、それを打ち消そうと僕は口を開いた。

今こうして未知の地をじっくり歩いて旅し、色んな人と会って話して・・・・どれだけ面白くて楽しんでいるかを意気揚々と語った。

折角何かの縁で偶然出会ったこのおばさんが、5年10年20年後にまた、あの時こうしていればよかったなどと後悔してほしくなかった。

 別れ際おばさんは言った。

「面白い子ねあなた(笑)これからもう直ぐ”蔵の湯”が開館するんだけど、あなたの事を思いながら温泉に入るわ!なんだか今日一日に楽しく過ごせる!」

それを聞いて弾けるように気分が跳ね上がった。

雪は変わらず降り続いており、冷たい風が吹き込んで、僕らを突き刺してくる。

温かいテントに入っていればそれはそれで快適に朝食を済ませれたのだろうが、これはこれで温かい朝飯であった。

 

山都町へ~

 

~まっ黒い旅人~

浅見さんが住む山都町へ行くには、昨日歩いた道を数キロ戻って峠を一つ越え、西の方へ15キロほど歩かなければならない。テントを畳んで荷を整えると、丁度トイレ休憩に来ていたおじさんが傍に居たので、喜多方市内のホームセンターまで乗せてくれないかと頼んだ。ぐしょぐしょに濡れる登山靴を止め、長靴に変更することにしたのだ。

乗せてくれたおじさんが、山都まで行くには道が複雑だというので地図を描いてくれた。また、長い峠を1つ越えなければならなく、峠の道中店も家も何もないので、峠を越える前に麓の部落の民家で一休みした方が良いと助言をしてくれた。

 雑で読みにくく・・・いや読めない地図を片手に町中を暫く歩くと、広がる白い平原を分かつ様に流れる川が現れた。その川架かる橋を渡ると町を抜け、遮るものが無くなった視界が一気に広がった。

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遠く、低い山々が壁の様にずらりと並び、その麓には雪の平原が一面どこまでも広がっていた。ぽつぽつと古民家が散らばっている。

ここまで数キロの間、狭苦しい町中を歩いていたものだから、目前に一気に現れたその広がりは、気分を一瞬にして爽快にした。こういう単純な気分の浮き沈みがまたいいものである。 この風景を思い切り堪能しよう!

  暫く歩くと道は峠に差し掛かった。坂道は結構な斜度がある。

 左右に民家が立ち並んでおり、おじさんの助言に従おうと、そのうちの一軒の戸を叩いた。

「はい。」腰の曲がったバーさんが居間の流れの悪い扉をガラガラ開けて、現れた。

「すみません、突然。これから山都へ行くんですが、水を、コップ一杯水をください」

「水ね、ちょっと待っててくださいね」そう行って奥に消え、手にコップとみかんを持って戻ってきた。

「この雪の中を、歩いてるのかしら?」バーさんが尋ねてきた。

「はい、山都に会いたい人がいまして・・・」

「修行ね。これで2人目よ、あなたで2人目。40年前にも一度あなたみたいに歩いてた人が来たの。その人はなにかの研究者って言ってたわね。本を書いて売るんだって、成功して売れたらずっと飯が食っていけるんだって言ってたわ。一度も、断じて風呂に入らないって人でね、まぁ汚いの!垢で顔も体も真っ黒だったんだから!」ばーさんは笑っている。「あなたを見て思い出したわ、なつかしいわ。あの人は今どうしてるかしらね。生きてるかしら。世の中広いから、あなた達の様に変わった人がいる方が面白いのよ!どんどんやりなさいね」

風呂に入らず、真っ黒の研究者とは一体どんな人物なのだろうか、ここへきて40年前のこのばーさんとどんな会話をしたのだろうか・・・

僕が戸を叩いたことで、40年前に訪れたという真っ黒い旅人をばーさんの記憶から呼び覚まし、微小ながらも不変な日常に刺激をもたらすことが出来ただろうか。

気が付くと玄関で話をし、20分程も経過していた。

「ここへ来たときまた寄ってくださいね。私もう90を超えてて、一人で生きているの。その時はもう生きているか分からないけど」バーさんは言った。

※40年前に訪れた真っ黒い旅人がもし、もしこれを見て思い出したなら、この峠の麓のバーさんに会いに行ってください!

 

 2つほどカーブを曲がって坂道を上り、峠道は下り坂に変わった。グネグネとくねる道を下って下りると、平地に出た。川にかかる橋を渡って歩くと、小さな落ち着いた町に入った。飯豊山のすそ野に栄える町、山都である。

浅見さんがこの町のどこかにいる。けれど、どこにいるのか分からない。

時間は昼を過ぎていた。電話を入れるが繋がらない。きっと忙しいのだろう。

通りすがった住民に、浅見さんて方の事を訪ねると、「直ぐそこの”千”って喫茶店によくいるよ」と教えてくれた。

早速その千に行く。店は古民家を改装し、とても落ち着いた雰囲気を醸し出している。

sabou-sen.chu.jp

 

 

 しかし、千の入り口にはCloseと木札が掛けてあった。ガラスを通して中を覗くも店内は暗く、誰もいない様だ。

どうしようか・・・思い悩んで右を見てみると、すぐ隣に稲庭商店という古臭い商店があった。

中にこたつがあり、2人のおばさんがくつろいでいた。

戸を開けて、閉まっている千の事を訪ねると、待っていれば店のあるじである秋庭さんて女性が来るかもしれないから、それまでこたつの入ってあったまれ!と招かれた。

雪は湿っていて全身びしょびしょになってしまっていたので、助かった。

 「みんな男よ。あたしの子も孫もほとんどが男。男、男、男・・・・女っ気がひとっつもないのよ!!どーいうわけえだか・・・」おばさん達は自らの家族構成の謎を熱く語りだす。「で、あなた兄弟は?」

「僕も、3人兄弟で・・・」

「また男かいっ!!?どーなってんだい!!!」ゲラゲラと笑い出す。

 飯豊山の登山が盛んな頃、活気づいていたこの町で、和菓子を作って売っていたというばーちゃん達。それで登山者も減り町の廃れてきた頃に和菓子屋をやめ、今は商店を細々とやっているそうだ。

 こたつに暖まりながら、頻繁にきていたという田部井淳子さんの写真やら、自分たちが飯豊山に登った時の写真なんかを見ながら談笑をした。面白く温かいばーちゃん達であった。

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 2時間ほど経った頃、秋庭さんが千にやってきて、間もなく浅見さんもやってきた。

 2人とも都会から越してきたという方々で、独特で個性豊かであった。

ひぐらし農園のその日暮らし通信

(上記は浅見さんのHPです)

 

 暫くコーヒーを飲んで話をし、日が暮れた頃浅見さんの家に招かれた。ありがとうございます!

町から離れた山奥、深い雪に埋もれるように山奥に建つ古民家に2人の娘さんと夫婦と2匹の猫と犬とで暮らしていた。

「からしは?からし」浅見さんが言った。

「からしは嫌!わさびがいい!」娘さんが言い返す。

「いや、からしにしよう」浅見さんも言い返す。

「嫌!わさび!!」

「からし」

「わさび、わさび!」

娘さんと、一昨日連れてきた新しい子猫の名前を決める戦いを浅見さんは繰り広げていた。名前は結局何になったのだろうか、それは聞いてないので分からない。

ともかくも、この2日間、寝不足であったため、今夜は除雪車のあの轟音の脅威を臆せず、ぐっすり眠れそうである!

 

2017年1月12日

 

東北縦断の旅7日目 ~喜多方へ~

 深夜、突然テントの外から物凄い音がして、堪らず目が覚めた。

入口を開けて顔を出すと巨大な除雪車が、ガガガガッガガガッと音を響かせながら広い駐車場内を行ったり来たりしていた。

時計を見た。まだ2時半過ぎ、どえらい時間だ。とんでもない時間に目覚めてしまったものだ。

僕は再び眠りという安息の世界に舞い戻ろうと、寝袋の中に潜りこんだ。

しかし、鳴り響く音が決してそれを許さない。

ガガガガガッ、ピーピーピーピー・・・ガガッガガガ・・・

暫くすると除雪車は駐車場から去っていった。

が、それでも音は遠くの方からずっと聞こえ、耳から離れなかった。

その後、結局眠ることは出来ず、気持ちのよくない朝を迎える。

今日は1日寝不足である!

 

~喜多方へ~

 

日の出を迎え、僕はテントを畳んで荷を整え、北へ約20キロ離れた山形県との県境地・喜多方へ向かって歩き始めた。

寒波の影響で雪が昨晩からずっと降り続けており、一晩見ぬうちに町はすっかり雪景色に変わっている。

駅前には通学する大勢の学生達が、降りしきる雪の中を寒そうに歩いている。

その学生達が注ぐ好奇な目線の中を潜って駅前通りを越え、暫く歩くと磐越道の高架橋が見えてきた。

高架下に行って、減った小腹を満たそうとザックを下して食料が入っている上ポケットのチャックを開けた。

すると直ぐに、ぷ~んと強烈な匂いが鼻を突き、小さな茶色い粒が数粒、粘ついた糸を引いてポケットの開いた口から垂れてきた。

慌ててこぼれ落ちる粒を手で受け止めた。それは納豆だった。

ポケットの中で一体なにが起きてるんだ!嫌な予感がし、チャックを全部開いて中を見た。そこには破裂したパックから幾つもの納豆粒がポケットの中に飛び散っていた。

携帯やその充電器、本などに納豆がこびりついてしまっている。

(汚い写真ごめんなさい!!)

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金山町で食べた納豆もちが美味しすぎて、その味が忘れられず、昨日買った納豆であった。

あぁぁやっちまった・・・僕の頭は納豆に対する申し訳なささで一杯になった。

この納豆に出来ることは残さず食べることである。

僕は手で一粒一粒納豆を集め、口に運んだ。

味に別状はなかった。当たり前だ。納豆は納豆、美味かった!!

 

 気を取り直して町中を歩いていると行きかう車の走行音に苛まれ、僕は田舎道へと逸れた。

だだっ広い畑の中、民家が点々と立ち並んでいる。

車の交通量はグッと減り、なんだか気分が落ち着いてきた。

やはり歩くのはこういう道に限るものだ。

 暫く歩くと左足の人差し指の先端が痛みを発していることに気が付いた。

踏み込むたびにズキンッと痛みが走る。

爪がとうとう割れてしまったのだろうか・・・。

少し先に、真っ白い田畑の中、ぽつんと建つ小さな神社が見えた。

鳥居を潜って、ザックを下しておやしろに腰かけ、靴と靴下を脱いだ。

足の裏は豆がいくつも潰れ、ビラビラに皮がむけている。

痛みを発する指の先端を見てみると、爪の内が内出血で真っ黒に変色していた。

左足だけでなく右足もなっていた。

靴が合わないのか・・・でもこの靴を履いてする登山では、こんなことになったことはまずない。

コンクリートの上を重いザックを背負って何10キロも歩いているからだろう。

治しようが無い。歩いていればそのうち痛みに慣れ、気にならなくなるだろう。

これからたかだか2か月の辛抱である。

 

 また暫く歩くと、道は大通りにぶつかった。その道を北へ何処までも歩いてゆけば、喜多方へ着くはずだ。

大通りへ出ようとしたその時、急に風と雪が強くなってきた。

堪らず近くにあった民家の倉庫の影に逃げ込んだ。

すると家の中で洗濯物を干していたおばちゃんと、ガラス越しに目があった。

「この雪の中、一体何処に行くんだい!?」戸を開けておばちゃんが訪ねてきた。

「喜多方です!でも雪が強くなってきたんで、ここで雪が少しおさまるのを待たせてください」

「喜多方??まぁ、そんなとこにいないで、家に上がって休まなんかい?」

何処から来たのかも分からぬ、見ず知らずの男を家に呼び入れて、恐くないのだろうか?

言われるがままに僕は家へ上がった。

そこは平塚という部落で、おばちゃんの名前は石田さんという。

「ほれ饅頭でもどうぞ!」美味そうな饅頭がボンッと出てきた。

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「大峠を越えていくのかい?私があの峠を越えたのは何十年も前になるがな・・・」

饅頭を頬張りながら、これから大峠を越えて山形へ抜けることを伝えると、おばちゃんは大峠にまつわる自身の体験談を語りだした。

「何十年も前になるがな・・・ある時、ブドウが食べたくなったのよ、山形のブドウが。そんならばブドウ狩りに行こうとなり、家族皆1台の車に乗って山形へ向かって大峠を走ったのよ。だけど道はグネグネと曲がりくねっててねぇ、最悪よ!皆酔うわ酔うわ、ゲーゲーと酔うわ・・・山形に着いた頃には皆ブドウ狩りどころじゃなかったのよ!」ゲラゲラとおばちゃんは笑っていた。

大峠を越える際、大峠にまつわるこの話は、まっっったく役に立たないであろう。

いや役に立つかもしれない。

もし歩いていて辛くなった時、思い浮かべよう。

おばちゃんの顔を。車で酔いながら苦しんでいるおばちゃんの顔!!

きっと笑いが出て、辛さが少しでも無くなるはずだ!!

 

 磐越西線を右手に走る旧同121号線沿いは、一面だだっ広い平野地で風が唸るように吹き荒れていた。喜多方へ近づくにつれて雪は減っていった。

夕方四時半ごろ、ようやく道の駅・喜多の郷にたどり着いた。

テントを張って駅中にある温泉”蔵の湯”に入った。

温泉は広くて温かく、今日1日の疲れを十分に癒してくれた。

 まだまだこれから数日間雪は降り続く予報で、これからの予定をどうするか考えていると、ふと数日前に僕が所属している山岳会の先輩(三澤さんといって、会津に惚れ、南会津の山奥にログハウスを建てて住んでいる会津好きの男性)からFB経由で入ったメッセージを思い出した。

「喜多方経由で行かれる場合は山都に住む私の友人を訪ねるとdeepな情報が得られると思います」

その方は浅見さんていう方で、都会から移住し、ひぐらし農園という農場で農業をやっているそうだ。

早速三澤さんに電話し、浅見さんに連絡を入れてもらった。

すぐに連絡が取れ、明日の午後からならば会えるということなので、では昼過ぎを目安にそちらに向かいますと言って電話を切った。

 

 濡れた靴を履いて温泉を出る。湿った靴が嫌な感じだ。

テントに戻ってストーブを点けて本を読みながら、今日1日を振り返り、僕は眠った。

 

飯豊連峰から連なる山々の中を、長さ約30キロの峠道が走っている。121号線だ。それを抜ければ山形県米沢市に行くことができる。しかし、この大峠はものすごい量の雪が降るといって有名で、歩道は雪に埋まり車道の隅を歩くしかない。乗用車や大型トラックが猛然と行きかう中を歩くとあって、雪が舞い視界の悪い日に歩くことなど自殺行為に等しい。越えるならば晴天の日に限る。寒波が到来したとあるが、数日待っていればその寒波も消えてなくなり、必ず晴天がやってくるはずだ。それまで焦らず急がず、この飯豊連邦の麓地でゆっくり待機していよう!

東北縦断6日目後半 ~会津若松へ~

 西山温泉を背に、峠道を柳津の町へ向かって歩き始めた。
車の殆ど通らない峠道はシンと静まり返り、雪だけが弱まることなく降り続けていた。
雪を被った山が回りを囲み、民家のない道が何処までも続いている。
寒い。小さくて冷たい無数の雪が、頬っぺたに触れては溶けていった。
“下の湯”の熱い湯で暖められ火照っていた体がみるみる冷えていった。
しかし、暫く歩いていればまた暑くなってくるはずだ。
それにいつか車が走ってくることだろう。
その時、ヒッチハイクをすれば良い。
それまでのんびりと歩いていよう。
これから柳津へ戻り、12キロ程離れた坂下町まで歩こう、北上だ!


~悲しき2人の男~

暫く歩くと、先ほど通り抜けたスノーシェッドの中から大型車の唸る走行音が響いてきた。
音はどんどん大きくなってゆく。
バスかトラック、どちらかだろう・・・
そう思って振り向くと、間も無くスノーシェッドの出口からバスが飛び出してきた。僕は手を振り回した。
バスは僕の横で停まり、間もなくドアが開いた。
乗客は他に誰もいなく、運転手が嬉しそうにこちらに顔を向けていた。
「乗りな乗りな!」
 ザックを積み込んで椅子に腰かけると、雪の降る中をバスは走り出した。
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「兄ちゃんその大荷物、山だろう?一体何処の山に登るんだ?」運転手は嬉しそうに話しかけてきた。「俺も山が大好きなんだ!」
日に何度も往復するも乗る乗客は殆ど居なく、相当退屈なのだろうか。そんな所へ、大荷物を背負った得体の知れない奇妙な男が乗って来たという訳だ。
「俺はな、ここいらの山で生まれ育ったんだ。山が好きで好きでな、夏になれば米と味噌を持って俺は何日も山の中に籠るんだ!夏場、山で生きてりゃ家なんてもんはいらんよな?あぁ早くこの仕事を引退してぇな・・・さっさと引退して、生まれ育った山へ帰って山菜と岩魚を採って俺は生きていくんだ!」
鏡には嬉しそうな笑顔が写っていた。
が、その笑顔が突如曇った。
「でもな、それには問題があんだ。嫁さんが山は嫌だってついてこねぇんだよ・・・」鏡に映る顔からは笑顔が消えている。「な、悲しいだろう?」
 会話が一息つくと何だか眠くなってきた。首からぶら下げていたカメラを手に、今まで撮った写真をモニターで確認する。
すると、モニターには虹色のモザイクがザ…ザザザと躍り狂っていた。
初期不良を起こしていたカメラは、完全にイカれちまったようだ。
一刻も早く会津若松のコジマ電気へ行かなければ。9日より代替品が用意されてあるコジマ電気へ。
 ため息を漏らしてカメラの電源を落とし、窓の流れる雪景色を眺めた。降る無数の雪が後方にすっ飛んでいる。一眠りしようと目を閉じた。
運転手のおじさんは悲しいだろう。奥さんが山が嫌いで・・・
僕も悲しい。カメラが完全にいかれちまったから・・・
悲しみに暮れる2人の男を乗せたバスは峠道を下っていった。

~坂下、会津若松へ~

 しばらく走ってバスは柳津へ到着し、運賃100円を渡してバスを降りた。
早くカメラを治してパシャパシャ写真を撮りたい!ここから会津若松のコジマ電気までヒッチハイクをしてしまおうか・・・
しかしまだ時間に大分余裕があった。
迷った挙句、とりあえず12キロ程離れた坂下まで歩くことにした。
時間は14時を過ぎている。
252号線を歩き、町を離れるにつれて建物の数は徐々に減っていった。代わりに一面真っ白な田畑が現れ、暫く続いた。
雪はみぞれに近い。レインウィアに触れる雪は直ぐに溶けていった。
積もっている雪はべちゃべちゃで、猛スピードで走る車がそれをビシャビシャとはね飛ばしてくる。
履いている登山靴は一応ゴアテックスなのだが・・・長い事べチャ雪に晒されて、もう既に中が浸みてきていた。
道路は49号線にぶつかり、道幅が大きくなって交通量がグッと多くなった。
16時を過ぎ、トンネルを抜けると緩やかな坂道が真っ直ぐに伸びていた。坂下の町はもう目先にあった。
トンネルを出た直ぐの駐車場に一台の赤い車が停まっていた。
この車は・・・会津若松まで行くだろうか。微かな期待を込めて、僕は窓を叩いた。
運転手は40~50歳ほどの女性であった。
窓を叩く僕に気がつき、勢いよくドアが開いた。
「え、え!!君、前に何処かで会ったわよね???」女性は驚いていた。「会ったのは何処だったっけ・・・あれ、思い出せない・・・」
「どこかで会いましたか?僕は会った覚えはないんですけど・・・ついさっきまで西山温泉に居ました」女性の顔は全く記憶に無い。
「そうだ!そうだそうだ!西山温泉だ!西山温泉の道路を歩いているのを見かけたのよ!あれ、あの人は一体何処の山に登るのかな~って気になってたの!私も登山が好きでね、給料もボーナスも殆どを山に注ぎ込んでしまってるの!で、今から何処の山に登るのかしら?」女性は言った。
「いや、山じゃなくて、青森の龍飛崎を目指して歩いてるんです。龍飛崎からは北海道が見えるらしいですよ?それを見るんです!!!」
「はあぁ?青森???まぁ乗りな乗りな!!寒いからさっ!」
女性はある大手企業の営業職員であった。
「ほんとは車で吸ったらダメなんだけど・・・私我慢できないの!ごめんね、吸うわ!」そう言って女性はタバコをスパスパと吸い始めた。
山が好き同士、会話は弾け飛んだ。
そして丁度今から会津若松の営業所へ帰るところだったというわけで、コジマ電気まで乗せて貰えることとなった。

会津若松へ入ると雪の量は減り、今までの田舎風景は一変した。
所狭しとひしめく大型チェーン店と引っ切り無しに行きかう車・・・古民家が立ち並ぶ南会津の風景とは大違いだった。
今まで数日間、自然に囲まれた町に身を置きすっかり居心地良くなっていた為、そんな風景に何だか居心地悪く感じた。
僕は思った。早くここを去ろう、と。

コジマ電気で壊れたカメラを新しいものと交換すると、外はもうすっかり暗くなっていた。
これから今日の野宿場を探さなければならない。
僕はとりあえず駅に向かって歩いていった。
何処の町でもそうなのだが、駅周辺が発展し、駅から離れるにつれて段々と落ち着いてくるものなのだが、会津若松はそれとは違っていた。
大通りを越え、駅に近づくにつれて大型チェーン店等の大きな建物は数を減らし、民家が増えていった。
そんな様子に疑問を抱き、すれ違ったおじさんに聞いた。なんでこんな町の作りなのだと。
雪がぱらつき寒いにも関わらず、おじさんは足を止めて教えてくれた。
ここは城下町であり、汽車の線路を開通させる際に、城の近く・町中を貫くことを避けて、田畑の中を走らせたのだという。
だから昔は駅周辺は田が広がっていたのだとか。
 雪がチラチラと軽くちらつき、道路にうっすらと積もっている。
民家の窓から漏れる光が暖かい。
駅へと続く道沿いにガソリンスタンドがあり、ガソリンの補給をしようと立ち寄った。
高校生らしきあどけない顔の2人の店員と、年を大分食った背の小さな渋いおじさんが歩み寄ってきた。
若者の顔はニヤニヤしている。得体の知れぬ僕に興味津々らしい。
「これにガソリンを入れてください」
ザックから出てきた、1リットルの燃料ボトルに戸惑い、おじさんは手に持ってジロジロと見つめる。
「ほれ、やってみな、0.7リットル位だろう」おじさんは少年にボトルを手渡した。
若者は慣れない手つきでガソリンを入れてゆく。
あっという間にドバドバとボトルの口からガソリンが溢れ出してきてしまった。
「あ、あ、あっ」溢れたガソリンを見て、若者は慌てふためいた。
「あああぁ!!だから0.7位だって!もう1リットル入っているがな!!」おじさんは慌ててボロ雑巾を靴で踏み、こぼれたガソリンを拭く。若者はにやけた顔で僕に話しかけてきた。
「これ何に使うんです?これからどこへ行くんですか?」
好奇心旺盛な若者から暫く質問の嵐が続いた。
若者が言うには駅前に地下道があり、そこならばテントを張れるらしい。
再び僕は駅に向かって歩いていった。

会津若松の駅は大きく、コンビニや飲食店が連結していた。
学生やサラリーマンが寒そうに身を強張らせながら行来している。
改札のすぐ横の窓口には、女性駅員がいた。眼鏡をかけて見るからに堅そうな顔をしている。こりゃだめかもしれない・・・そんな予感がしたが僕は聞いてみた。
「あの・・・駅長いますか?」
「駅長・・・は、えっと今日は居ません。なんの御用ですか?」
駅員の表情はピクリとも動かない。嫌な予感がした。僕はその堅い壁を崩そうと、出来る限りの笑顔で尋ねた。
「お願いがあるんです!」
「はい?」怪訝そうに聞いてくる。
少し間を置いて僕はお願いした。「今夜、駅の地下室でテント張って寝ていいですか?」
だが予感した通り、結果は無残なものであった。
そういうことはお断りしてましてと軽くあしらわれてしまった。
「駅の建物の裏側でもダメですか・・・?」
「はい、そういうことはお断りしてまして」再びあしらわれる。
断る表情がまた冷たく、そのあしらわれ方で僕は思った。
あぁこの人にはもう何を言っても無駄だと。
だめだこりゃ・・・僕は降りしきる雪の中を去って行った。
まるでフラれた様だった。
それはそうである。この真冬にテントを張っていいよと許可し、もし僕が凍死でもしてしまったならば、面倒なことになるのは目に見えている。駅員の判断が至極真っ当で、僕の方がおかしいのだ。
降りしきる雪がより一層冷たく感じられた。

外は真っ暗で、駅から洩れる光に降る雪が照らされている。
駅を出て駅前通りをフラリフラリさ迷っていると、小さな商店街の中、一際目立つ宮殿の様な大きな建物が目についた。
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そこは駐車場も広かった。大型車が何台も停められる広さで、車は殆ど無い。
ここならば広いし、きっと張らせて貰えるだろう!小さな希望の火が灯った。
ガラス戸を通して中を覗くと、広い店内は整然としていた。襖で仕切られた個室がいくつか並び、カウンター前のガラス内に寿司が幾つか並べられている。どうやら寿司屋らしく、高級感が溢れ出ていた。
和服を着た若い女性店員が1人、腕をまくって雑巾で掃除をしていた。
店の扉を少し開いて、すみませんと一声かけた。
お姉さんはばっと振り向いて、ちょこちょこした足取りでこちらに近寄ってきた。
綺麗なお姉さんだった。雪で全身が濡れ、デカいザックを背負って小汚い僕とはまるで対照的だった。
顔には笑みが滲み出ている。これまた先ほどの堅苦しい駅員とは対照的だった。
「青森へ向かって今歩いてるんですけど、今晩駐車場の隅にテント張ってもいいですかね?」
それを聞いてお姉さんは吹いた。
「ちょっと待っててくださいね、社長に聞いてきます!」
 暫くすると寿司職人の社長が出てきた。社長の隣に先ほどのお姉さんが立ち、にこにこしている。
「なんなんだお前は!!?テントを張るだって?駐車場の好きな所に張ったらいいぞ!!」
それを聞いて僕は飛び上がった。
「ありがとうございます!床掃除でもトイレ掃除でもなんでもしますんで!!」
 テントを張ってストーブに火を点けた。今日の夕飯はスープだ。飯盒で水を沸かし、白菜とキノコを切っていれる。
すると外から社長の声がかかった。
「ちょっと店の中に入らねぇか?」
 火を消し言われた通り店に入って、テーブルに腰掛けた。客は他に誰も居ない。
「夕飯は食ったんか?」社長が聞いてきた。
「いえ、今作ってたとこなんです。白菜とキノコでスープでも飲もうかと」
「そうか・・・まぁちょっとまってな」そう言って暫くすると、先ほどのお姉さんがどんぶりうどんを持ってきて、目の前に置いた。湯気がもうもうとたち昇り、美味そうな匂いが鼻につく。
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「まぁ食いな。体を温めろ」キッチンで片づけをしながら社長が言う。「何処からきて、何処へ行くんだ?」
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寿司職人と旅人・・・異色である2人の男の語り合いが・・・・幕を開けた。

店の名前は”会津迎賓館 寿し万”
www.aidugeihinkan.co.jp
7人兄弟の端の方に生まれ、親父に一丁前になるまで帰って来るなと追い出されてから60年間、寿司を握り続けている鈴木社長。
「親父の元へ帰る前に、親父は死んじまったんだ」社長は少し下を向いてぼそりとそう言った。

気がつけば店は閉店間際だった。
「兄ちゃん馬鹿なだなぁ!いやぁ面白い!久々に面白い話が聞けた!!兄ちゃん今夜は美味いもんが食えるぞ!」
そう言って、残った料理に、明日の朝ご飯に食ってくれとニシンの笹寿しを握って出してくれた。
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 外へ出ると雪が強さを増していた。
「そんなテントじゃ寒いだろ!ここにある段ボール好きなだけ使え!」
そう言って何人かの従業員が倉庫に束になった段ボールを指さした。
「こりゃぁ兄ちゃん、いいホームレスの練習になるな!」それを見て社長が白い吐息を吐き、笑いながら言った。
僕の頭のなかにぼんやりとホームレスになった姿が浮かび上がってきた。
「またここに来たら顔を出してくれよ!兄ちゃんの様な馬鹿は応援したくなるもんだ!」
「ありがとうございます!そんときはまたテントを張りに来ますので、張らせてください!!!」
降りしきる雪の中、駅前に頭1つ抜き出て立つ大きな寿司屋、そこはとても暖かい寿司屋であった。

2017年1月11日の午後

東北縦断6日目 ~西山温泉へ~

目覚めて入り口のチャックを下ろし、テントから顔を出した。
夜はとうに明け、唸り狂っていた風は収まっている。
雨は雪に変わり、ビチョビチョだった世界を薄く白い雪景色に変えている。
吐く息が白い煙となってユラリと漂っては何処かへ消えていった。
「うぅさみぃ・・・」
再びチャックを上げて入り口を閉め、水の入った飯盒に火をかける。
朝飯の野菜スープが冷えきった身体を温めた。
気分も温まってきた!
今日は西山温泉へ行き、会津若松へ向けて進もう!

~西山温泉へ~
老沢温泉
医師からあと少しの命だと告げられて見放され・・・そんな人が最後、藁にもすがる思いで米と味噌を持って何週間も湯治をやりにくる温泉。
昨日のスーパーで“湯治場・西山温泉”にまつわるこの話を聞いた瞬間、昔、草津温泉でも同じような話を聞いたことを思い出した。
それと同時に、幼い頃親に毎年の様に連れられていた“草津温泉”の懐かしい風景が、脳裏にガーンと浮かびあがった。
その懐かしさは、西山温泉へ行こうか行かまいかフラフラと迷っていた迷想の思いをすっきりとすっ飛ばしてくれた。
ただ西山温泉へ行くには昨日やっとの思いで歩いた道を数キロ戻って、10キロ程山道を行かねばならはない。
ここは・・・ヒッチハイクで行こう!
降りしきる雪の中、僕は道路に出て手を上げた。
数台に見送られた後、ワゴン車が止まり、「山道の前までなら」と作業着を着たお兄さんに乗せてもらう。
車は、痛む足に耐えながら何十分と必死に歩いた道をものの数分で走ってしまった。
流れ去る懐かしき風景を、ぼんやりと窓越しに眺める。
トンネルを抜けるとすぐに山道へと続く分岐点が現れた。
ちょうど赤信号で停車し、そのタイミングでお礼を言って車から降りた。
再び手を上げると、ワゴン車の真後ろを走っていた軽トラが止まった。
西山温泉の近くの部落・久保田に住んでいるというおじちゃんだった。
唸りながら重いザックを荷台に乗せ、温泉へ向かって山道を行く。
山も木もすっかり白く覆われ、奥へ奥へと行くにつれて雪は深くなっていった。
所々にひっそりとした集落がある。かつて桐だんすが何百万で売れていた頃はここ会津林業が盛んで、人々が活気づいていたという。
暫く走ると四方を山々に囲まれ、細々と流れる滝谷川沿いに小さな集落が現れた。西山温泉だ。
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「お勧めは老沢温泉だ。そこはよ、古くて昔ながらの長~い階段を降りていくんだ。すぐ近くに神社があるんだ」おじちゃんが言った。「またどっかで出会ったら乗せてやる!良い旅を、気を付けてな!」
すぐ近くに神社?意味が分からない。おじちゃんは僕に疑問を植え付けさせ、ガタガタと車をきしませながら、雪の降り積もる峠道へと消えていってしまった。
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旅館の近くに神社があるもんだと思っていたが、それらしきものは全く見当たらない。
僕は疑問を抱えたまま旅館の戸をくぐった。
こたつでくつろいでいたおばあちゃんが、重い腰を上げるように立上がり、風呂を案内してくれた。
入り口から左手に進み、風呂へと続く扉を開けると下へと続くトンネルのような長い階段が現れた。
転がり落ちぬよう注意して降りる。
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降りるとすぐに浴室があった。
雪で濡れたジャケットを外してパンツを脱ぎ、ガラガラと戸を開けると、むわっと浴室満たす湯気に包まれた。
湯気で酷く霞む視界を目を凝らしてみると、長方形の浴槽が3つ並んでいる。
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片方の壁は大きなガラス窓になっており、そこから外の景色が見え、すぐ側で2人の作業着を来た男が雪の中を何やら調査をしている。
気配に気がついたのか、男達がこちらに目を向けた。
素っ裸で今まさに湯に浸かろうとしている僕を見てすぐに向き直る。
男で期待外れだったようだ。
湯は熱い。それでも歯を食いしばって身を縮こまらせ、そー・・・っと入れば耐えられる熱さだ。
顔を歪め「ッー・・・」と息を吸いながら浸かってゆく。
ようやく胸まで浸かって落ち着き、辺りを見渡す。驚いた。
入る時は湯気で全く気がつかなかったのだが、壁に神社があったのだ。
おじちゃんが言っていた事がようやく理解できた。
なんの神様か分からないが、湯の中で手を合わせて目をつぶり、無事旅が続けられるよう祈る。
温泉をあがると身体は火照り気分もすっかり緩んでいた。心も体も十分満たされている。
けれどもせっかくここまで来たのだから他の温泉も入らないと!
こたつでくつろぐばあちゃんに、この数多くある温泉でお薦めなのは何処ですか?と聞くと、坂を少し下った所にある“中の湯”と“滝の湯”も良いよと教えてもらった。
早速それらを目指して老沢温泉を発った。

~中の湯へ~
雪は相変わらず降り続いている。
道路を覆う雪が少しだけ厚みを増している。
5分程歩くと川沿いに数件民家が寄り添うように建っていた。
その内の1つに「中の湯」と書かれた看板が目に入り、戸をくぐる。中は広い。
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バタバタと忙しなく走り回る、まだ若い女将に迎えられた。
「朝、温度調節を間違えてしまってね、物凄く熱いと思うから、かき混ぜて入ってくださいね!」そう言って忙しそうに家の奥へと走り去って行ってしまった。
ポツンと取り残された僕は、ザックを下ろし、靴を脱ごうと腰をおろした。
すると、ガチャリと音をたてて事務所の戸が開いた。
「あらあら、いらっしゃい。こんな雪の中をそんな荷物で何処から来られたんです?」おばあちゃんが現れた。先程の忙しい女将とは言葉も動作も正反対で、ゆったりとしている。こちらまで落ち着いてきた。
先程の温泉で身体は火照り続け、まだ湯に浸かる気分でなかった僕は、通されたソファでストーブにあたりながら暫くの間、おばあちゃんの昔話に耳を傾けた。
戊辰戦争敗戦の影響で青森から会津若松へと引っ越し、そのあとここ西山温泉へと来たという家族の話をゆっくりとした口調で語ってゆく。
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ばあちゃんは語りくたびれたのだろう、20分程経つとこと切れたように口を閉ざした。
静まり返った室内に、ストーブの炎だけがモウモウと音をたてている。
火照っていた僕の身体もちょうど冷え、熱い湯を欲していた。
僕は告げた。
「・・・それじゃ、温泉に入ってきますね・・・」
「そうですか、娘が朝湯の温度調節を間違えて熱くなったって言っていたから冷まして入ってくださいね」
戸を開けると、こじんまりした小さな浴槽があり、湯気が白く立ち込めている。
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熱い熱いと何度も告げられていたため、恐る恐る手を触れてみた。
熱くない。全然熱くない。
拍子抜けし、桶で湯をすくい、ザバリと頭からかぶってから一気に胸まで浸かった。
やはり湯は熱くない。むしろぬるい。
温度調節をどう間違えたのだろうと疑問が渦巻くが、考えることを止めはぁとひと息つく。
身体は火照ることなく、何時間でも入っていられそうだ。
15分程経ち、そろそろ出ようかと湯から半身を出す。するとすかさず冷気が無防備な肌に襲いかかり、僕は堪らず生ぬるい湯の中に舞い戻る。もう少し暖まろう・・・と。
だがぬるい湯では一向に温まらない。
寒さを覚悟して湯から半身を出すが、あまりの寒さに覚悟は簡単に折られ、再び湯に戻される。
それを何度も試みるがどうしても湯から出ることが出来ない。
気が付けば30分近くも入っていた。
このままではずっと出られない・・・襲いくる冷気に負けぬ決意を固め、僕は腹をくくった。
浴室を出るとばあちゃんが待っていた。
「熱かったでしょう?」
「ははは」僕はつい笑ってしまった。「凄いぬるかったですよ!出ようにも出られませんでした!」
「あら本当ですか?!それじゃ今、お客さんが居ないから、女湯にでも入ったらどお?女湯なら温かいですよ!」
僕は丁重に断り、次なる湯を目指すことにした。

~下の湯へ~
滝の湯は、女将が最近亡くなったために営業しておらず、近くの下の湯に入ることにした。
雪を被ったつり橋を渡ると、孤立した場所にポツンと一軒だけ民家が建っていた。
戸を開けると同時に、テレビの爆音がガガーンと耳を貫いた。
ばあちゃんがこたつに入ってTVを見てくつろいでいた。耳が遠いのだろう・・・
雪と共に入って来たけったいな僕に気がつき何か言っている。が、TVがうるさくて何も聞こえない。
僕は靴を脱ぎ、ばあちゃんに歩み寄った。
荒れ狂うTVの騒音に紛れて「ここは泊まれないよ」と辛うじて聞こえた言葉。
僕は泊まりに来たのではなく、温泉に入りに来たのだと叫び、入湯料400円を手渡して騒音から逃げるように湯に向かった。
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浴槽は2つあり、そろりと手を入れてみる。
とたんに手を引っ込めた。
なんて熱さだ。まるで熱湯!
老沢温泉など足元にも及ばぬほどの熱さであった。
それでも何とか入ろうと、右足を入れてみる。
「アッチィッッッ」思わず叫んで、直ぐに足を引っ込めてしまった。
湯が熱すぎるのだ。
老沢温泉、中の湯とは比べ物にならぬほどの温度である。
それでもどうにか入らなければと足を入れるが、直ぐに引っ込めてしまう。
「アッチアッチィッッッ」
静かな浴室に響き渡る苦痛の叫び声。広間では同じくTVの騒音が響き渡っていることだろう。もの静かな集落に、頭1つ抜きん出て騒がしい温泉である。
足を入れては引っ込め、入れては引っ込め、ようやく身体を浸けたと思ったら5分も経たぬうちに湯から抜け出した。
鏡に映る身体からはモウモウと湯気が立ち上ぼり、茹で蛸のように真っ赤ッか。
広間に戻ると、ばあちゃんはTVの音量を下げて話しかけてきた。
「そんな荷物で何処へ向かうんだ?」
「青森目指して歩いてるんです」
「青森???こりゃたまげた・・・ちょっと待ってな」
そう言って部屋の奥からミカンを3つ持ってきて、手渡してくれた。
「夏は私は息子と農作業で外へ出て家を空けちゃうから、ここは冬だけしかやってないの。これ、食べながら歩きなさい!」
一軒一軒がとても濃い温泉であった。
5~6軒は入ってみようかと意気込んでいた僕の心は十分に満たされ、まだまだ多くの未知なる温泉を残し、僕は西山温泉を去ることにした。

2017年1月11日午前